さらに、2013年11 月にYouTubeにアップした「コントロール」では、アベノミクスの格差助長政策についての批判ソングまでを歌っていた。
〈金利を下げたり/国債出したり/答えの帳尻を合わせていますが/実力もないのに入れてもらった大学生は/どこまでいっても勉強はしない〉
〈株価が上がって/やったみたいな顔してますが/大きい企業のための日本ではないはずなのに/お腹の空いてる皆さんの前に安いもの並べても/ガマンできるものだと思っている〉
こういった顔は、普段テレビで見せている飄々とした所ジョージからは想像もつかない。
実際、筆者の知る限り、かつての所は意識的に「無責任で自由な趣味人」を演じ、どれだけ真面目な社会問題から距離を取るか、政治的になってしまうことからどう逃れるかを目指してきた印象すらある。
それが、安倍政権になった頃から明らかに、直接的に政治を風刺する表現が増えているのだ。これは、所ですら、安倍政治に危険性を感じ始めたということなのだろう。
いや、その危険性は「自由な趣味人」であるからこそ感じ始めたということかもしれない。頭のいい所は、自由であるためにはまず「平和」と、健全な民主主義が必要だということをわかっている。だから、安倍政権になって「言うべきときは言うべきことを言う」という態度をとらなければ、いずれそういった生き方ができなくなってしまう、そう考え始めたのではないか。
もちろん所ジョージの政権批判はいまも、どこかに脱力感を漂わせた所らしいユーモアあふれるものだ。しかし、所までが避けてきた政治問題にコミットし始めたという事実を、私たちはしっかりと受け止めなくてはならない。
(編集部)
最終更新:2019.01.11 04:59