だが、日本はどうだろう。2004年の人質事件で自己責任論をふりかざした急先鋒は当時の自民党幹事長、安倍晋三氏である。とくに、人質が解放された翌日の会見では、「山の遭難では救出費用を遭難者に請求することもある」と発言、政府に救出費用の請求を検討させる姿勢さえ見せたほどだった。この安倍氏をはじめとする政治家たちの新自由主義的な自己責任の大合唱が国民に浸透し、いまではすっかり根付いてしまったのである。
しかし、過去何度も繰り返されてきたこうした自己責任論に対し、今回は早くからそれを牽制する意見も出ていた。たとえば、24日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)では、玉川徹氏が「自己責任論というのは、僕は否定しておきたいたいな、釘を刺しておきたいなと、ほんとうに今回、とくに思います」と述べ、こうつづけた。
「そもそも論から言うと、ジャーナリストは何のためにいるんだ。それは民主主義を守るためにいるんですよ」
「民主主義を守ってるってどういうことかっていうとね、民主主義だといっても国なり企業なりで権力をもっている人たちは、自分たちの都合のいいようにやって隠したいんですよ。でも、隠されているものを暴かない限り、私たちは正確なジャッジができないんです、国民は。正確なジャッジをするためには情報がいるんですよ。その情報をとってくる人たちが絶対に必要なんですね。それをやっているんです、ジャーナリストっていう人たちは。僕なんかはできていないです、そういう意味では。フリーのジャーナリストは命を懸けてやっているんですね。いちばん危ないところにこうやって行かれているんですよ、安田さんは。そういう人を守らないでどうするんだと」
安田氏はイラク軍基地訓練施設に労働者として潜入して戦争ビジネスの実態をレポートした『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』(集英社新書)を発表したり、シリア内戦の緊迫した凄まじい日常に肉薄する現地取材を伝えてきた、貴重なジャーナリストだ。しかも、安田氏は自分勝手でもわがままを通した人でもまったくない。国内の大手メディアが報じない戦場やテロリスト組織の実態をあきらかにするために、つまり国民の知る権利を守るために身体を張ってシリアへ渡ったのだ。
こうした民主主義を支える仕事ぶりに敬意を払うどころか、みんなで同調して石を投げつける。なんと冷酷な国だろうかと溜息が出るが、これは遠い国で拘束された人だけの問題などではない。「国が助ける必要はない」などという意見が、さも当然のようにまかり通る国になった結果、いまや保育園に入れないと現状の不備を訴えただけでも「子どもをつくった人の自己責任」と跳ね返す者が現れるような、冷淡な社会になってしまっているということを、よく考えるべきだろう。
(編集部)
最終更新:2018.10.26 11:27