そもそも、小堀宮司による“天皇批判”の背景は、来年4月末日をもって退位する今上天皇が、即位してから一度も靖国を参拝していないことにつきる。
しかし、それは昭和天皇の意志を引き継ぐものであり、当然の姿勢と言えるだろう。
周知の通り、昭和天皇は、1975年の親拝を最後に、靖国参拝を行わなかった。その直接の原因は、1978年に松平永芳宮司(第6代)が行ったA級戦犯合祀に、昭和天皇が強い不快感を持ったためだ。
実際、日経新聞が2006年7月20日付朝刊でスクープした通称「富田メモ」には、その心情が克明に記されていた。当時、昭和天皇の側近であった元宮内庁長官・富田朝彦が遺した1988年4月28日のメモの記述である。
〈私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉
「松岡」というのは国際連盟からの脱退で知られる近衛文麿内閣の外相・松岡洋介。「白取」とは松岡とともに日独伊三国同盟を主導した元駐イタリアの白鳥敏夫のことをさす。両者とも戦後にA級戦犯として東京裁判にかけられたが、昭和天皇がわざわざ「その上」と言っているように、この「あれ以来参拝していない それが私の心」は、松平宮司による14名のA級戦犯合祀そのものにかかっていることは自明だ。
ところが当時、「富田メモ」の発表で大混乱に陥り、驚くべきペテンと詐術を繰り返したのが右派勢力、とりわけ、現在の安倍晋三を支える極右応援団の面々だった。いま、あらためてその御都合主義に満ちた反応を振り返ってみると、連中が、今回の小堀宮司による天皇批判に沈黙を貫いている理由も自ずと理解できるだろう。