新聞やテレビが会場問題やサマータイム導入問題などには疑義を呈することはあっても、このような東京五輪に対する「自国開催は誇らしいこと、喜ぶのは当然」「国民的行事なのだから協力は当たり前」などという「同調圧力」に、社の意見を執筆する論説委員が疑問を投げかけるなどということはほとんどないだろう。なぜなら、新聞・テレビこそが「2020年が待ち遠しい!」という社会の空気をつくり出し、異論を排除しているからだ。
現に、テレビではこうした論調はまったく見ないし、新聞も読売や産経はもちろんのこと、朝日や毎日でさえ個別の問題を批判的に取り上げることにも及び腰で、ましてや西日本新聞のように「東京五輪が待ち遠しくない」などと踏み込むことはしない。せいぜいインタビューで識者などが熱狂ムードに釘を刺す程度だ。
なぜ、リベラルな新聞までもが“国策”である東京五輪にまんまと乗っかっているのか──。その答えは簡単だ。大手新聞5社は、東京五輪のスポンサーに名を連ねているからである。
これまで、五輪のスポンサーは読売新聞1社が独占契約をおこなう交渉がつづいていたが、そのオフィシャルパートナー契約は少なくとも50億円といわれ、読売単独では巨額すぎた。そのため日本新聞協会がスポンサー契約をする案が浮上したが、計130社が加盟する協会では足並みが揃うことはなかった。そこで新聞各社が個別契約することになり、2016年1月に「オフィシャルパートナー」として朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞、読売新聞東京本社の4社が契約を締結。今年1月に「オフィシャルサポーター」として産経新聞社、北海道新聞社が新たに契約した。
言論・メディア企業各社が東京五輪のスポンサーになることで、五輪の不祥事や問題点をきちんと報じることができるのか。そうした懸念は当然のことだが、実際、大会組織委が報道に“圧力”をかけようとしたこともある。