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沖縄出身のりゅうちぇるが「慰霊の日」に向け語っていた戦争、米軍基地への強い思い

「危険と隣り合わせだと感じたのは、2004年に米軍ヘリが沖縄国際大(同市)に墜落した時です。僕は当時小学校3年生。友だちと本屋を出て、タコライス屋に入ろうとした時でした。ヘリが上空で旋回するのを眺めていたら、急に止まって、垂直に落ちたのです。その光景は忘れられません」

 幼い少年だったりゅうちぇるが体験した恐怖は、いかばかりだったろう。この事故では幸い死者は出なかったが、それは奇跡のような偶然が重なった結果でしかない。

 しかも、沖縄が隣り合わせなのは、米軍による事故だけではない。2016年には沖縄県うるま市で米軍属の男による女性死体遺棄事件が起こったが、こうした米軍による犯罪、とりわけ女性を狙った性暴力犯罪は後を絶たない。現に、りゅうちぇるが生まれたのは1995年。沖縄で小学生の女児が複数の米兵に拉致・暴行された事件が起こった年だ。あれから、沖縄の状況は何も変わっていない。あのとき米軍は日米地位協定を盾に容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、その不平等極まりない地位協定をいまなお日本政府は温存させつづけている。

「今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます」というりゅうちぇるの言葉はけっして大袈裟なものではなく、沖縄の現実を映し出した言葉だ。そして、戦争で「捨て石」にされた沖縄では、いまも政府が基地を押し付け、事故や事件には関心を示さず、辺野古や高江で基地に反対する人びとを弾圧するという暴挙が繰り返されている。

 いまだ、戦中と地つづきにある沖縄。だからこそ、沖縄戦で犠牲となった人びとを悼む「慰霊の日」は、沖縄だけではなく、この国にとってとても重要な日なのだ。

 りゅうちぇるは「慰霊の日は、沖縄のことをめちゃくちゃ熱心に考える一日です」「今も慰霊の日の正午には「うーとーとー」します」と述べている。「うーとーとー」とは「手を合わせて祈る」こと。実際、りゅうちぇるは毎年のように、6月23日になるとTwitterで「うーとーとーする日」「きちんとうーとーとーしたよ」などとつぶやいてきた。

 そして、2015年のこの日、りゅうちぇるはこうも投稿している。

〈沖縄県民だけでなく1人でも多くの全国民が、戦争のない、差別のない、平和な世界を願いましょう〉

 今回、りゅうちぇるが新聞のインタビューで語ったことは、少しでも沖縄の過去といまの現実を広く知ってほしいという思いがあってのことだろう。りゅうちぇるとともに〈戦争のない、差別のない、平和な世界〉を願いつつ、きょうという日を、いま現在、沖縄が置かれている現状に心を寄せる日にしたい。

最終更新:2018.06.23 11:29

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