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石田純一がセクハラ問題で跋扈する「今の時代ではアウト」論に異議!「昔は女性が我慢させられていただけ」

「「セクハラ」によって与えられる、とてつもなく屈辱的で、相手のみならず自分にも嫌悪を抱き、自らを責めてしまう思いを、加害者は想像することすら難しいのかもしれない。
 同じようにそうした経験があるにも関わらず、気にしていては仕事にならないと必死に踏みとどまって、受け流していた「昔の女性」を福田氏が「今の時代」と比べているのだとしたら、その責任の一端は我々世代の女性にもあるのかと思うといたたまれなくなる」
「将来振り返ったときに、今回の件がターニングポイントだったと思えるよう、自分自身テレビにかかわる者として努力をしなければならないと感じている」

 長野に限らず、今回の福田次官セクハラ事件を受け、メディアで働く多くの女性が、かつて自分が受けたセクハラ被害、そして当時声をあげなかったことがセクハラを温存してきたと語っている。しかし本当に自責の念を感じるべきなのは、声をあげられなかった彼女たちではなく、男性たちのほうだ。働く女性が今以上に少なかった当時に、彼女たちが声をあげていたら、「これだから女はダメだ」「女は使えない」と男性社会から排除されていただろう。

 被害者が声をあげづらい状況はいまだに変わっていない。性被害を訴えれば、“被害者にも落ち度や責任がある”といった卑劣なバッシングが、毎回のように巻き起こっている。実際、昨年レイプ被害を告発した伊藤詩織さんや、電通時代のセクハラ被害を訴えたはあちゅう氏、山口達也強制わいせつ事件の未成年被害者らはいずれも激しいバッシングにさらされている。さらに今回の福田次官セクハラ事件にいたっては、被害者のテレ朝記者はネットでバッシングを浴びただけでなく、麻生財務相という政府要人から公の場で「はめられた可能性があることは否定できない」「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」などと“セカンドセクハラ”攻撃を受け続けている。

 現在でも続く日本のセクハラへの歪んだ認識、そして暗澹たる現状を見事に指摘、看破した石田純一。多くの女性たちが自らの被害や自戒の念を語る一方、セクハラを“女性の問題”として傍観している男性が多いなか、石田の言葉は貴重なものだ。石田はその女性遍歴から、女性を“性のはけ口”扱いした話を武勇伝のように開陳する芸人などと同じ“遊び人枠”にくくられることもあるが、女性に対する認識は根本的にちがうのだろう。

最終更新:2018.05.14 05:17

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