「現代思想」9月臨時増刊号
『だるまちゃんとてんぐちゃん』(福音館書店)や『からすのパンやさん』(偕成社)などで知られる絵本作家・児童文学者の加古里子氏が2日に亡くなっていたことがわかった。92歳だった。親子二代にわたって加古氏の著作に親しんだ人も多く、多くの読者が悲しみの声をあげている。
「だるまちゃん」シリーズや「からす」シリーズのほかにも、『地球』『地下鉄のできるまで』をはじめとした科学絵本や、『こどものとうひょう おとなのせんきょ』といった民主主義をテーマにした絵本など、子どもたちの知的好奇心を刺激する多様な絵本を残してきた加古氏だが、その創作活動の原点にあるのは戦争体験だろう。
加古氏は1926年に福井県に生まれた。戦前・戦中・戦後を生き、少年期と青年期のほとんどに「戦争」が影を落としていた同世代のほとんどがそうであったように、加古氏の人生にも戦争は大きな影響を与えた。
少年時代の加古氏は航空士官を目指していた。それは、一回り上の兄を医者にすべく学費を捻出していた家庭環境では、自分にまで学費が回ってくる見込みがないため、お金をかけずに進学するにはどうすればいいかを考えた結果だったという。そのために猛勉強するも、近視が進んでしまったため航空士官になることはできなかった。結果的に、軍人を目指した同級生たちは特攻で死んでしまったが、兵隊にとられることのなかった加古氏は戦争を生き抜いた。「婦人公論」(中央公論新社)2014年9月22日号のインタビューでは、そうして生き残ったことを「だらしなく恥ずかしい「死に残り」に思えました」とまで語っているが、その言葉が表す通り、戦後の加古氏の心のなかには憤りと反省があった。
「BRUTUS」(マガジンハウス)17年7月1日号のインタビューで加古氏は、戦争が終わるやいなや戦前から戦中にかけて行った発言や行動を忘却し、戦争に対する反省を行わずに戦後を生きようとする、(自分も含んだ)大人に対する憤りがあったと語っているが、その思いが絵本作家としての後の仕事につながっていく。