そう考えると、今回の三佐の罵倒はよく言われるような「5.15事件や2.26事件などのクーデターを想起させる」行動ではない。もっとレベルの低い、グロテスクなものだ。
そもそも、軍事クーデターあるいはその未遂事案は、軍事力を背景にした暴力や圧力、テロルによってときの政府を打倒し、自分たち軍隊の意に沿う変革を企図するものである。
5.15事件や2.26事件など、戦中の青年将校らによるクーデターはもちろん、戦後の自衛隊でもこうした「クーデター」は何度か計画された。たとえば元警察官僚の亀井静香衆院議員は、雑誌「月刊日本」2017年12月号のインタビューで、〈いまだから言ってもいいと思うが、私が警視庁にいたとき、現職の自衛官によるクーデター計画があったんだよ〉と告白している。亀井氏によれば、その計画を事前にキャッチして動きを止めるために防衛省へ連絡、理由を言わずに首謀者3名を即座に配置転換するよう要請したという。
また1992年には、現役自衛官が「クーデター」に関する論文を「週刊文春」に寄稿し、大問題になったこともあった。陸上自衛隊高射学校の戦史教官だった柳内伸作氏という幹部自衛官だが、〈もはや合法的に民主主義の根幹である選挙で不正を是正することは不可能です。それを断ち切るにはどのような手段があるか。革命かクーデターしかありません〉〈軍隊も手段ならば、クーデターも単なる手段に過ぎず、穏健な民主的方法のみが民衆を救うための手段ではないというときがあります〉などと書いて、結果、懲戒免職の処分がくだされた(処分撤回を求める裁判を起こしたが敗訴)。ちなみに、柳内氏はこのクーデター論文を執筆した当時、自衛隊の三等陸佐。くしくも、今回の小西罵倒事件を起こした幹部自衛官と所属は違えども同じ階級だ。
しかし、こうしたクーデター発言と今回の自衛隊三佐の暴言とは根本的な思想がまったく違う。柳内氏の「クーデター論文」はまがりなりにも政治腐敗から「民衆を救う」という大義名分を掲げていたが、小西議員を罵倒した自衛隊三佐には「民衆」や「国民」という視点すらない。前述したように“安倍政権の敵”だから罵倒しているだけなのだ。
だが、それは危険がないということではない。むしろ、一部の跳ね上がりにすぎないクーデター発言よりも、今回のほうがもっと事態が深刻かもしれない。それは、前述した“安倍首相の私兵”“安倍政権のための軍隊”という意識が自衛隊という組織全体に浸透している危険性を感じるからだ。
実際、防衛省の日報隠蔽問題での防衛省・自衛隊幹部の行動を見ても、安倍政権を庇うためなら、平気で国民を欺き、不正を働くようになっている。そして、日報問題で引責辞任したはずの黒江哲郎・前事務次官がNSCの新設ポストに抜擢されたように、安倍政権にさえ逆わなければ、どんな不正を働いても厳しい処分はされない。
そういうことがどんどん積み重なった結果、自衛隊には「我々は安倍さまの軍隊」であり「安倍さまに逆らうものは国会議員であろうと、一般市民であろうとすべて敵だ」という意識が根付いてしまったのではないか。
本サイトは、今回の事件が示しているのは「シビリアンコントロールの欠如」だけでなく「国民を敵と味方に分断する安倍政治の反映」だと指摘してきたが、三佐が供述している“動機”は、まさにこれを裏付けるものだろう。
今回は暴言だけで済んだが、安倍政権がこのまま続けば、まさに自衛隊が“政権の弾圧装置”と化して、国民に銃口を向けるという事態も起こりなりかねないのだ。
(編集部)
最終更新:2018.04.28 03:45