総理出席の委員会の場においての理財局長の答弁内容は、事前に総理官邸の事務方に伝えられて調整されている。つまり、この事実に基づけば、佐川氏の答弁は「勝手に暴走して口走った」ものなどということは到底ありえず、官邸側も承知した内容だったはずなのだ。
じつは、この住田弁護士と同じことを指摘している人物がいる。前川喜平・前文部科学事務次官だ。
前川氏は昨晩放送された『Mr.サンデー』(フジテレビ)のインタビューのなかで、「(佐川氏は)何らかの無理な答弁をせざるを得ない事情があったんじゃないか」と推測し、こう語った。
「質問通告と言いますけど、通告してもらった質問を整理して、それぞれ答弁を担当課がつくるわけですね。総理答弁、大臣答弁、局長答弁とつくっていくわけで、総理答弁だったら官邸に持っていって、官邸の秘書官や関係の人たちとすり合わせるわけですね。大臣の答弁と局長答弁が食い違わないように調整しますよね。そういうことを、前の日の夜にやるはずです」
「佐川さんの一存で無茶なことを言っているんじゃなくて、私は官邸とかと調整した上での答弁だと思いますけどね」
さらに前川氏は、佐川氏の答弁が「記録はない」「記憶もない」という一貫した答弁だったことを踏まえ、「その場しのぎというよりも方針がはっきりと決まっていたと思いますけどね」と述べている。
たしかに、佐川氏は国会答弁の際、予定していない質問を受けた際には「確認する」と言って答弁を避けていた。一方、安倍首相はどうだったか。文書改ざんのきっかけになったとみられている昨年2月17日の「私や妻がかかわっていたら総理も国会議員も辞める」という答弁は、場当たり的に野党の追及をかわすため、深くも考えずに咄嗟に出てきた言葉だったはずだ。
実際、この答弁をおこなった日、安倍首相はほかにも、すぐ後に全力で切り離しにかかる籠池泰典理事長のことを「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」だの「いわば、私の考え方に非常に共鳴している方」だのといったように、自分の支持者であることを自ら口にした。
さらに、安倍晋三小学校という校名についても、「私が死んだあとならまた別だけれども」「何か冠をしたいということであれば私の郷土の大先輩である吉田松陰先生の名前とかを付けられたらどうですかとお話した」などと言い、良好な関係を保ってきたことを饒舌に説明している。それが一転、24日には「学校のことはよく承知していなかった」などと言い出すのだ。ちなみに、佐川氏の答弁が「適正な価格で売っている」というものから一転して「(交渉記録は)速やかに廃棄をした」などと強気なものに変わったのも、同じ24日だ。
官邸との調整に基づいて佐川氏が当たり障りのない答弁をおこなう一方で、安倍首相が「暴走」し、自身の進退にかかわる答弁をぶってしまった──。余裕がなくなると逆に余裕があるふりをして饒舌になるのは安倍首相の特徴のひとつだが、問題の17日も同じで、これに官邸が青ざめ、安倍首相も我に返り、昭恵夫人や自分の名前、特例的な取引がおこなわれたことを証明する文書の問題箇所の改ざんを命じた。状況的にはそうとしか考えられない。