佐々木氏にはそれから何回も何回も出撃命令がくだされる。それは、敵艦を沈めることを意図したものではなく、ただただ彼を特攻させて殺すための出撃だった。なぜ、敵艦を攻撃することよりも、名誉の戦死を遂げることが目的化したのか。参謀長が佐々木氏を怒鳴りつけた言葉がそれを説明している。
「佐々木はすでに、二階級特進の手続きをした。その上、天皇陛下にも体当たりを申し上げてある。軍人としては、これにすぐる名誉はない。今日こそは必ず体当たりをしてこい。必ず帰ってきてはならんぞ」
「佐々木の考えは分かるが、軍の責任ということがある。今度は必ず死んでもらう。いいな。大きなやつを沈めてくれ」
出撃を繰り返すうち、援護を担当する直掩機の数も減らされ、佐々木氏の特攻はどんどん雑な扱いになっていく。8回目の出撃ではついに直掩機が一機もつかなかった。これでは敵艦に近づくのもおぼつかないし、たとえ特攻したところで戦果の確認すらできない。
同書では、生還するたびに痛罵された佐々木氏がどんな理不尽な扱いを受けたか、そしてそのような存在は佐々木氏だけではなく、〈処刑飛行〉を強いられたパイロットは他にも存在したことなどが明かされている。詳しくは同書を読んでいただきたいが、『不死身の特攻兵』が現在これだけ多くの人に読まれているのは、佐々木氏が受けた理不尽な構図は過去のものなどではなく、現在の日本社会でもなんら変わらずに残っているものだからだ。
2018年1月21日付朝日新聞のインタビューで鴻上氏は「つい僕らは、うかうかしていると、日本型組織を維持するために、構成員の命を消費する傾向があるんです」と語っているが、理不尽なまでの過重労働を強いられるブラック労働や、意味不明なルールでもそれを遵守しないものは排斥する「いじめ」など、職場や学校といった日本のありとあらゆる組織でこの構図は残り続けている。
鴻上氏はこのように指摘する。
「特攻隊やいじめの資料を読んでいると、同調圧力っていうのは日本人の宿痾なのかもしれないという気がします。「特攻に志願する者は前に出ろ」と上官が言って、誰も動かないと「出るのか、出ないのかハッキリしろ!」と叫ぶ。すると、全員がザッと前に出る。個に目を向けず、全体が一つであることが美しいという価値観は、いまも連綿と続いている」(「週刊朝日」16年9月9日号/朝日新聞出版)