実際に番組を見たら「アート」どころか、後輩たちに体を使った下ネタを強要するホモソーシャル丸出しの体育会の宴会芸でしかなく、「お笑いの芸」でさえない気がするのだが、松本の「アート」宣言は、別にギャグで言っているわけではないようだ。
松本は『ドキュメンタル』について、シーズン1エピソード1にはこんな上から目線の宣言をしていた。
「相当客は選ぶというか、お年寄りとか女子供が見てそこまでどうなんだろうっていうのはありますね。本当に好きな人はのめりこむように見てくれるんじゃないかなっていう、そういう意味ではこれぐらいのターゲットを絞り込む感じで」
さらに、シーズン3エピソード1では、こううそぶいている。
「『ドキュメンタル』を見てない人に対する優越感の笑いっていうものもあると思うんですよ。やっぱり地上波ではない、なんですかね、『我々だけが知っている』みたいな」
「女子供にはわからない笑い」「我々だけが知っている笑い」それが、カメラの前で放尿したり、女性の見ている横で陰茎を放り出すことなのか。
松本は『笑ってはいけない』問題の時も「はっきりルールブックを設けてほしい」(18年1月14日放送『ワイドナショー』/フジテレビ)と思考停止発言するなど、問題の所在がどこにあるのかをまったく理解できていなかった。
松本は、「地上波のやりにくさ」を言う前に、こんな下ネタでしか笑いを取れなくなっている自分の才能の限界を自覚すべきではないのか。
(編集部)
最終更新:2018.02.21 10:29