西岡氏の言うとおり、日本の公安が重要なスパイ事件やテロ未遂事件を秘匿し、国民に知らせぬまま闇に葬り去っているなんていうのは、スパイ小説しか読んだことのないドシロウトの発想だ。公安はむしろ、自分たちの予算拡大や捜査権拡充に最大限利用するために、警察組織のなかでも一番積極的にマスコミに情報を出す組織なのだ。
とくに、北朝鮮がらみは外交への配慮が不要なため、事件が起きたときは大量の情報をリークして世論を煽ってきた。それは、1985年に発覚した北朝鮮工作員の日本人なりすまし事件、通称「西新井事件」の報道を見れば明らかだろう。このとき、公安は協力者を外国人登録法違反(無登録)で逮捕した段階で、主犯が“大物秘密工作員”であるとして指名手配。マスコミは公安のリークに乗っかって、拉致事件への関与からスパイの七つ道具が押収されたという話まで大々的に書き立てた。
また、2001年に起きた東シナ海の北朝鮮工作船事件でも、沈没していた船に搭載されていた武器の詳細や様々な工作との関係がこれでもかとばかりに流され、報道された。
これらに比べて、「迫撃砲発見」は不自然なくらいまったく報道されていないのだ。それは、この情報が公安プロパガンダ以前のレベルにあることを物語っている。西岡氏は「デマ好きの政治家の噂話じゃないか」、松本氏は「何年も経ってから捏造された陰謀論の類いだろう」と推測していたが、実際、この話はフェイク、都市伝説の可能性が非常に高い。
実は、この「迫撃砲発見」デマには元ネタと思しきものがある。それは、先に西岡氏も言っていた、阪神大震災のあとに「旧日本軍の砲弾や手榴弾」が見つかっていることだ。実はそのなかに「迫撃砲弾」が含まれており、新聞も何度か記事にしているのだ。
〈十一日午前十時半ごろ、阪神大震災で倒壊した兵庫県西宮市津門川町の木造アパートのがれきをパワーショベルなどで撤去していた作業員が、迫撃砲弾の不発弾一発を見つけ、西宮署に通報した。陸上自衛隊第三師団司令部(同県伊丹市)第三武器隊が回収し調べたところ、八一ミリ迫撃砲弾(長さ六三センチ)で、安全装置がかかっていた。旧日本陸軍のものとみられる。〉(毎日新聞大阪版朝刊 1995年3月12日付)
〈阪神大震災の護岸工事が進む神戸港で、戦争中に日本軍や米軍が製造、使用したとみられる爆発物が相次いで発見されている。十八日は四月に続いて砲弾などが三個回収された。腐食がひどく爆発の危険性はないが、震災復旧で開港以来の大規模な工事が続いており、神戸海上保安部は「爆発物は、今後も見つかる可能性が高い」とみている。〉(朝日新聞大阪版朝刊 1995年5月19日付)
念のため言っておくが、見つかったのは「迫撃砲」ではなく「迫撃砲弾」、つまり弾のほうであって、しかも、戦時中の旧陸軍や米軍が使用した腐食が進んだものばかりだった。だが、これがいつのまにか事実が捻じ曲げられて「瓦礫の下から北朝鮮スパイの迫撃砲発見」というデマにつながっていったのではないか。
他に震災と「迫撃砲」を関連づけるような情報が皆無であること、デマが「迫撃砲」というところだけやけに具体的で、それ以外はまったくディテールがないことを考えると、その可能性は非常に高いと言えるだろう。
しかも、このデマを拡散させたと思われる人物がいた。それは、安倍首相ブレーンの極右イデオローグとして知られる中西輝政・京都大学名誉教授だ。中西教授といえば、コミンテンルン謀略史観を平気で語ったり、つい最近まで“北朝鮮の核開発の黒幕は中国”という説を唱えていたりと、大学教授らしからぬ陰謀論信奉者として有名だが、「Voice」(PHP研究所)2004年3月号の連載でこんなことを書いているのだ。
〈九年前の阪神・淡路大震災直後の救助中に、倒壊した家屋の地下からたくさんの武器庫が見つかったとされる。当時から、消息筋のあいだの噂話として耳にしたが、この事実は現在では多くの信頼できるソースで語られている。〉
中西氏は「多くの信頼できるソース」などと書いているが、読売の記事同様、具体的な根拠やディテールは一切なく、伝聞した話をなんの裏付けも取らずに書いただけという臭いがぷんぷんする記事だ。