この麻生氏の部落差別発言は会合に出席した複数の議員から野中氏自身の耳に入り、激怒した野中氏が直接、麻生氏に詰め寄るという事件も起きている。
野中氏の実像を追ったルポ『野中広務 差別と権力』(魚住昭/講談社)によれば、事件が起きたのは、麻生の差別発言から約2年が経った2003年9月11日の自民党総務会。この総務会に出席した野中氏がいきなり立ち上がり、当時、政調会長としてこの会合に参加していた麻生氏に向かってこう怒鳴ったという。
「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
しかし、これはけっして、野中氏の被害妄想でも思い込みでもなかった。実際、2009年になって、米紙ニューヨークタイムズ(1月16日)がアメリカ史上初めてアフリカ系のオバマ大統領が誕生した米国と対比する形で、日本の部落差別問題を特集したのだが、そこに当時、首相だった麻生氏による野中氏への差別発言の一部始終を掲載している。しかも、NYタイムズ記事には、会合の出席者である亀井久興衆院議員(当時)が実名で登場し、実際に麻生氏が差別発言をしたことを証言していた。
ところが、それでも日本の新聞やテレビは、一切報道しようとしなかった。理由はマスコミが当時、総理だった麻生氏に遠慮したこと、そして部落差別問題に触れることを恐れたためだった。
しかし、野中氏本人はその後も、講演などでこの麻生の差別発言のことを度々取り上げ、徹底的に批判し続けた。麻生氏については、ヒトラー発言に代表されるように、その後も度々舌禍事件を起こしており、そうした安倍政権に通底する “差別”や“弱者”に対する不認識、いや逆にそれを増長させるような姿勢も野中氏が最後まで声をあげ続けた要因だろう。
そして、こうしたまさに安倍政権の本質をつく野中氏の発言に、安倍首相も麻生財務相も一言も反論できず、沈黙を守るしかなかった。野中氏の死に際して、いまだに大人気ない対応をとっているのも、それだけ安倍首相らが野中氏のことを恐れてきた裏返しだろう。
野中氏の政治手法には批判すべき点もたくさんもあったが、しかし、この政治状況をみていると、野中氏にもっと鋭い安倍批判を続けてもらいたかった、と思わずにはいられない。
(編集部)
最終更新:2018.01.29 08:23