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ダウンタウン『笑ってはいけない』擁護の嘘! 浜田雅功の黒塗りは米で問題になったミンストレル・ショーと同じだ

 このミンストレル・ショーのスタイルは20世紀に入ってからも残り、映画黎明期にも白人がブラックフェイスで黒人を演じている。その後、差別意識の向上とともに、このような表現は姿を消していき、公民権運動が広がった後にはアメリカのエンタテインメントにおいて完全なタブーとなっている。

 上記のような話は、言ってしまえば世界史の教科書レベルの話であり、エンタテインメントに関わる人間であれば、当然もっていてしかるべき知識である。

 しかし、恐ろしいことに『笑ってはいけない』は浜田の顔を黒塗りにしてエディ・マーフィーのコスプレをさせることになんの疑問も抱かず、そのまま全国放送してしまった。

 そして、さらに恐ろしいのは、このブラックフェイスの演出が炎上していることに対して反発の声が起きていることだ。その典型が、タレントのフィフィによるこのツイートだろう。

〈黒く塗ると差別だと騒ぐ人達はネガティブなイメージを持ってるのかな?日焼けして黒人並みにするほど黒い肌に憧れている人もいるし、黒人ファッションも真似てる人もいる。意図によっては批判されるだろうけど、黒人に扮しただけで差別って?そう指摘する人達こそ、優劣を付けて人種を見てる気がする〉

 この意見にはネトウヨ層を中心に少なくない数の賛同の声が寄せられているが、ここまで説明してきた背景からわかる通り、「ブラックフェイス」と「黒人ファッションを真似ること」は、まったく意味合いが異なる。「ブラックフェイス」という表現は、それそのものに、差別的な意図が歴史的な文脈から包括されているのである。

 それでもブラックフェイスのなにが問題なのかわからないのであれば、そういった差別的な意識が自分たちに向けられていることを考えてみればいい。

 ブラックフェイスをめぐる議論と似た問題が、東アジア系の人々に対しても行われてきた。それは「イエローフェイス」と呼ばれている。

 特に有名なのが、オードリー・ヘップバーン主演の1961年公開『ティファニーで朝食を』に登場する、主人公ホリーの近所の住む日本人ユニオシだろう。背が低く、出っ歯で眼鏡をかけた日系アメリカ人という設定のユニオシを演じたのは、東アジア系の俳優ではなく、白人のミッキー・ルーニー。

 ミッキー・ルーニーは日本人になりきるため不細工なメイクを施し、ステレオタイプな日本人を演じた。『ティファニーで朝食を』はクラシックとして鑑賞し続けられている名作だが、このユニオシをめぐる描写には、いま現在でも事あるごとに批判があがっている。

 しかし、なぜ、2010年代も後半に差し掛かったいまになっても『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のようなブラックフェイスをめぐる問題が日本では起こるのか。それは、差別をめぐる問題が取り沙汰されても、そのことをきちんと検証せず、有耶無耶にして終わらせてきたからである。

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