『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)番組HPより
昨年大晦日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ)。毎年恒例の『笑ってはいけない』シリーズだが、現在その放送内容が物議をかもしている。
サブタイトル通り、今回のテーマは「アメリカンポリス」ということで、メンバーはアメリカの警察官を模した衣装に着がえて企画に望むのだが、浜田雅功だけが『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーのコスプレということで、デトロイト・ライオンズのスタジャンを着込み、顔を黒塗りにした状態で番組に参加した。
これに対し、ツイッター上ではすぐさま「ブラックフェイスをやらかすなんて」「これは笑えない」と批判が殺到。さらに、日本在住の作家バイエ・マクニールが〈2020年オリンピックで黒人アスリートのためにブラックフェイスのドゥーワップをやらかすんじゃないかって真剣に不安だ。いますぐやめろお願いします〉とツイートした。
さらにここに来て、イギリスBBCやアメリカのニューヨークタイムズも報じるなど、ガキ使ブラックフェイス問題は国際的にも大きな批判を浴びている。
この主張は当然だろう。顔を黒塗りにすることのなにがいけないのか? それは、黒人差別の歴史において、顔を黒く塗り、パフォーマンスするという行為は特別な意味をもつものだからだ。
19世紀、アメリカで流行した「ミンストレル・ショー」と呼ばれる大衆演劇がある。黒人差別と表現の問題を論じた『『ちびくろサンボ』絶版を考える』(径書房)によると、このミンストレル・ショーは〈黒人の無知や無知から来ると思われていた明るさを笑いものにした〉芸風で、〈二十世紀の中頃のテレビ・映画のなかの黒人イメージにまで色濃く影響を及ぼしたと言われる〉ものだ。
〈当初は白人が顔を黒く塗り黒人奴隷の服装をして、黒人の「愚行」を演じていたが、それはあくまで白人が望んだ範囲での黒人の愚かしさであったり、白人の主人への忠実な奴隷像だったりした。またこの中で唄われる「ニグロ・ソング」も、同様に当初は白人の想像上の産物であって、黒人の実際の心情を反映されたものではなかった〉(同上)
黒人は無知で、それゆえに明るく能天気である──そのような偏見に満ちた黒人像を反映したキャラクターを、白人が顔を黒塗りにしたうえで演じ観客たちを笑わせる。それがミンストレル・ショーであった。このような表現を成り立たせていた背景に、黒人を奴隷として強制労働させ人間として扱わなかった、アメリカの負の歴史があることは言うまでもない。