つまり、『否定と肯定』はある意味、歴史修正主義者&極右に関する「あるある映画」(?)として鑑賞することもできる。そう言っても過言ではない。もちろん、決してふざけて評しているわけではなく、映画から得られるものは実に豊かだ。なぜならば、歴史修正やトンデモデマと対峙するやり方をわたしたちに教えてくれるからである。
たとえば、あらすじでも触れたアーヴィングが“ヒトラーがホロコーストを直接指示した文書は一枚も見つかってない”と威圧する場面。日本の歴史修正主義者たちが「慰安婦問題で軍の強制性を示す書類は見つかってない」と吠えるのに酷似している。もちろん、彼らは「だから」と続けて「慰安婦は存在しない。ただの売春婦だった」と主張する。
が、言うまでもなく、戦時中の慰安所で「慰安婦」たちが性搾取をさせられていたことは動かない事実だ。日本軍が慰安所設置に関与したことを裏付ける公文書はたくさん残されており、また当時、海軍将校だった中曽根康弘元首相や、陸軍に所属していた鹿内信隆・元産経新聞社長も、著書で軍による慰安所と性搾取について証言している。
ようするに、歴史修正主義者は、持論に有利なほんの一部分だけを取り上げて、そのほかの膨大な証拠や証言を無視し、全体を「なかった」という誤った結論を導くのだ。実際、劇中でも弁護士がこうしたアーヴィングの手口をリップシュタットに説くシーンがある。
ちなみに、アーヴィングは荒唐無稽な言いがかりにたじろぐリップシュタットの様子を撮影し、ホームページにアップして「完全勝利」などと喧伝していたのだが、これも日本のネトウヨを想起せざるを得ない。近年の動画サイトでは、恣意的な編集をしたうえで「完全論破!」「パヨク涙目www」「国会で発狂」などというテロップをつけているバカげた動画に汚染されているが、いやはや、この手のやり口は各国共通で昔からあったのだなあ、と妙に納得させられる。
また、日本のネット右翼たちのゲスさとモロ被りといえば、アーヴィングが高齢となったサバイバーの記憶の細部をついて“証言は嘘だ”と主張し、あげく身体に刻まれたアウシュヴィッツのタトゥーを嘲笑って、“それでいくら稼いだんだ?”と揶揄するのもそうだ。日本のネトウヨや極右文化人が口を揃えて「自称慰安婦たちは話があやふやだ! カネ目当てだ!」と個人攻撃するのは言うに及ばず、とくに安倍政権下で沖縄の米軍基地反対運動に対し「日当をもらって抗議している!」なるデマが絶えないのも周知のとおり。劇中では、リップシュタットがアウシュヴィッツ体験者による法廷証言を望むのに対し、弁護士団が断固として認めないのだが、彼女に“そうしなければならない理由”が語られるシーンに是非注目してもらいたい。