小泉首相から安倍首相が引き継ぎ、いまなお「アベノミクス」と称してつづける新自由主義政策は、貧困を広げる一方で社会保障を「自己責任」として切り捨てていくものだ。「福祉や保障に頼るな、家族で助け合って生活しろ」というその考え方は、公的責任を逃れ、個人にすべての責任を押しつける。そうしたなかで生活保護バッシングが吹き荒れたことは、偶然の一致などではない。煽動したのが自民党の政治家だったように、起こるべくして起こったものだったのだ。
だからこそ確認しなくてはならないのは、バッシングの根拠としてもち出される不正受給の問題だ。自治体による調査強化によって不正受給の件数と金額が過去最多となった2012年度でも、保護費全体で不正分が占める割合は0.53%。これは、諸外国と比べても圧倒的に低い数字、というか、ほとんど「不正がない」に等しい。
ようするに、この国の政府や政治家たちは、生活保護基準を引き下げるために、100人に1人もいない不正をクローズアップし、あたかも生活保護受給者の多くが不正を働いているかのようなバッシングを繰り広げてきたのだ。
日本は不正横行どころか、生活保護を受けている人が圧倒的に少ない。2010年当時の統計だが、ドイツの生活保護利用者は793万5000人で全人口の9.7%、イギリスは574万人で9.3%、フランスは372万人で5.7%。これに対して、日本は205万人で1.6%。ドイツの6分の1ちょっとにすぎない。生活保護支給額の対GDP比率となると、もっと少ない。アメリカが3.7%、イギリスが4.1%、ドイツ、フランスが2.0%なのに、日本の生活保護支給額はGDPに対してたったの0.3%なのだ。
これは、日本が豊かで、貧困者が少ないからではない。生活保護を受けられる貧困状態にあるのに、ほとんどの人が生活保護を受けずに我慢しているからだ。実際、日本で生活保護を受ける資格がある人のうち、受給している人の割合を指す「捕捉率」は2割程度だと言われている。
こうした背景には、日本社会を覆う「生活保護は税金泥棒」という倒錯した倫理観がある。生活保護は憲法25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に基づく当たり前の制度であり、いまの過酷な競争社会では誰もがそこに転落する可能性があるのに、弱者をさげすみ、その当たり前の制度を使うのに後ろめたさを強いているのが日本社会の現実なのだ。
そして、政府はこうした社会の空気に拍車をかけることで、さらに生活保護基準を引き下げ、生活保護受給者のみならず、国民全体の暮らしをさらに悪化させようとしている。
すでに貧困と格差の拡大によって社会の底は割れているというのに、相変わらず富裕層しか見ていない安倍首相。非正規が増加して不安定雇用は改善されず、最低賃金も上がらず、その上、セーフティネットを破壊しつづけていけば、国民の生活への不安は増し、消費はどんどん冷え込んでいく。──このような「負のスパイラル」を、即刻断ち切らなくてはならない。
(編集部)
最終更新:2017.12.11 07:07