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島田雅彦、平野啓一郎、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、山本直樹…作家・文化人たちが続々と安倍政権に批判の声

 このように感じているのは島田氏だけではない。平野啓一郎氏は「週刊女性」(主婦と生活社)17年10月31日号でのインタビューで、安倍政権下に入り激化した弱者叩きの構図をこのように語っている。

「安倍政権下では弱者への言説のあり方も変わりました。以前は、金持ちは頑張っているのだからという文脈で、低所得者を放っておくような否定の仕方だった。それが今は、生活保護バッシングのような、社会保障費で迷惑をかけているという積極的な否定になっている。新自由主義から全体主義へと変化したと思います」

 平野氏は今回の選挙について、「政治の「まともさ」をめぐる闘いだと思うんです」と語る。すなわち、安倍政権は「まとも」ではなかったということだ。安保法制や共謀罪での審議でたびたび繰り返された、立憲主義をないがしろにし民主主義を破壊する国会運営など、私たちはこれまで歴史の教科書でしか見たことのなかったような独裁的な政治が堂々と行われるのを目の当たりにしてきた。

 そんな絶望的な状況を用意したのは、安倍政権が自分とは異なる意見をもつ者に対し、まともに対話をしようという姿勢を見せず、嘘とはぐらかしと権力でねじふせようとしてきたことにある。

 劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏は、17年10月12日付け東京新聞の連載コラム「風向計」のなかで、公示前に行われたいくつかの党首討論を見た感想を綴っている。

 党首討論では森友・加計問題について疑問が飛んだが、首相の言葉は「私はこれまで予算委員会や閉会中審査で丁寧に説明を重ねてまいりました。委員会の中で、私が関与したと言った方は一人もいない、ということは明らかになっています」という、もはや耳にタコができた「答えになっていない答え」だった。「丁寧な説明」もなければ、政治の私有化に関する疑惑を払拭するだけの回答が得られていないから、何度も同じ話を問い質すことになるのだが、結局は党首討論の場でも核心に迫った話を聞くことはできなかった。ケラ氏はこのように綴る。

〈それで終わり。これは討論とは言わない。国民の多くが、誰もくい下がらないのを不思議に感じているに違いない〉

 これは、昨日今日始まったことではないし、森友・加計の話題になって出てきた現象でもない。安保法制のときも、共謀罪のときも同じ。遥か昔からもうずっとそうだった。ケラ氏は続けてその憤りをこのようにぶちまける。

〈国会では「それでは答えになっていません」という言葉がよく聞かれたものの、やはり多くはそこで終わりだ。「答えになってない」ということしか、わからない。私たちが知りたいのは「答え」だ〉

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