しかも言っておくが、仮にあるマンガが、とことん安倍首相をこき下ろし、笑い者にして、さらには極めて誇張な表現を用いたとしても、本来はなんの問題もないのだ。政治権力に対して、自由にものが言えることこそ民主主義の原則であり、表現の自由だからである。裁判所も、総理大臣など公人中の公人は〈具体的事実を適示するものではなく、いささか品位を欠く表現〉であったとしても〈風刺的表現〉程度は〈受忍すべき〉との判断を下している。
実際、欧米では、政治家に対する揶揄や批判をギャグテイストで展開することは言論・表現のひとつとして定着している。たとえば、トランプに対しては日夜、司会者やコメディアンたちがトークで痛烈に皮肉っているし、そもそもヒトラーを徹底的に揶揄したチャールズ・チャップリンや、英国王室、教会、軍人、警察など硬直した権威の欺瞞を茶化し続けたモンティ・パイソンなど、お笑いやコメディは大衆が権力に対して持ち得る数少ない武器として機能してきたという“伝統”がある。
一方の日本、とりわけ安倍政権のもとでは、政治の最高権力者に対するお笑い揶揄、皮肉に対しても応援団のネトウヨたちが殺到し、不買運動や「電凸」までしかけるなど、タブーにされつつある。それは、決して一部のネトウヨたちのいかれた行動などではない。背景には、安倍首相自身が放送局や新聞に陰に陽に圧力をかけ、批判報道を萎縮させているという事実があり、その風潮が今回のような、批判的でもなんでもないマンガ表現まで圧殺するというようなことに繋がっているのだ。
今回の「まんがで読む人物伝 安倍晋三」が炎上させられた件でわかるのは、そうした言論・表現の自由の抑圧が、事実を述べただけのマンガにまで広がっているということに他ならない。小学館はネトウヨの言いがかりに決して屈してはならないのは当たり前だが、すべての表現者・メディア関係者たちもまた、こうした状況に異を唱えるべきだ。さもなくば、マンガなどの表現芸術だけでなく、政権を絶賛する言論以外の全ての表現がつぶされるのを、黙って見ていることになるのだから。
(小杉みすず)
最終更新:2018.10.18 03:32