望月記者といえば、8月31日の会見で「金正恩の要求に応えろ」と質問したとして、ネトウヨが大バッシングを展開。産経もコラム「産経抄」で〈弾道ミサイルを連射しているのは、北朝鮮のほうなのに〉〈こんな平和ボケを治すには、やはり憲法改正が一番だろう〉などと望月記者を攻撃した。
だが、このときの望月記者の質問は、ミサイル発射を肯定したわけでも何でもない。実際は、「アメリカが米韓合同演習をつづけていることが金委員長のICBMの発射を促しているといるのでは」と指摘した上で、「アメリカ側と、もしくは韓国側の対応のなかで合同演習の内容を、金委員長の要求に応えるように、ちょっと冷静に対応するようにと、そういう働きかけは日本政府はやっているんでしょうか」と質問しただけだ。
米韓合同演習が北朝鮮を刺激している面があることは専門家も指摘していることであり、それについて日本政府がアメリカや韓国に対してなんらかの働きかけをおこなわないのかという質問は、ごく基本的な質問である。
むしろ批判されるべきは、この望月記者の質問に対する菅官房長官の返答のほうだろう。
「我が国としては対話と圧力、行動対行動(という)基本姿勢のもとに日米の強力な同盟のなかで国民のみなさんの安全安心は守っていく」という、例によって質問の回答にまったくなっていない空疎なテンプレを口にしたうえで、菅官房長官はこう言い放ったのだ。
「北朝鮮の委員長に聞かれたらどうですか」
質問者の発言を「全く問題ない」「指摘はあたらない」などと全否定してまともに応じない“スガ語”が、結局、ただ都合の悪い事実を遮断するための語彙にすぎないことは一連の加計問題などで国民に完全にバレてしまっているが、今度は日本政府の対応について「北朝鮮の金正恩に訊け」ときた。8月8日の会見でも望月記者の追及に対し「ここは質問に答える場所ではない」と吐き捨てていたが、もはや「ノーコメント」の“言い換え大喜利”か何かかと言いたくなる。
このように質問に答えず「全く問題ない」「指摘はあたらない」を繰り返すだけの意味のない会見で、執拗に食い下がり、菅官房長官が嘘を強弁しているだけであることを国民に広めてきたのは、ほかならぬ望月記者だ。菅官房長官が木で鼻をくくったような返答をしても、まったく怯むことなく、手を替え品を替え質問をつづけてきたからこそ、実態が浮き彫りになったのだ。
そのことを菅官房長官はじめ官邸が疎ましく思っているのは、会見を見ていればすぐわかる。だからこそ今回、いちゃもんをつけて露骨に望月記者と東京新聞に圧力をかけてきたのだ。
だが、望月記者のように菅官房長官の強弁に食い下がる記者がいなくなれば、どうなるか。空気を読み、悪目立ちしたくないという記者たちが、決定事項や政府見解を確認するだけという無意味な会見に戻るだけだ。そして、官邸の圧力に屈し、独自情報や週刊誌報道などを基にした質問を自主規制するようになれば、政府の言い分だけが垂れ流される状態になるだろう。それが民主主義を名乗る国のジャーナリズムか。
しかも現在のところ、産経が官邸の言い分を垂れ流しているだけで、この官邸の不当な圧力を批判的に報じている新聞はない。もう一度言うが、メディアは今回の官邸の行動に対し、報道の自由に圧力をかける卑劣なものだと即刻抗議するべきだ。それをしないのであれば、この国のメディアはジャーナリズムを捨てたに等しいだろう。
(編集部)
最終更新:2017.12.07 05:28