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父は原爆ドームの向かいに住んでいた…吉川晃司が原爆特別番組で核兵器禁止条約を拒否する安倍政権を批判!

『NNNドキュメント'17』HPより


 今月6日、広島に原爆が投下されてから72年が経った。今年の夏も日本のみならず世界中からたくさんの観光客が原爆ドームや広島平和記念公園に足を運んでいるが、実は意外な人物がこの場所にとても深い縁をもっている。

 その人物とは吉川晃司。そんな彼とこの場所の縁とはいったいなんなのか? 6日深夜に放送された『NNNドキュメント 4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園〜』(日本テレビ)でその秘密が明かされ話題となっている。この番組は、広島テレビ製作で今年4月に広島地区ローカル放送されており、前々から別地区での放送も望まれていた番組だった。

 現在、広島記念公園となっている場所は、原爆投下前は「中島地区」と呼ばれる広島有数の繁華街で、1300世帯4400人が暮らしていた地域だった。吉川晃司の祖父は、この中島地区の端、現在は原爆ドームとして知られる広島県産業奨励館の川を挟んだ斜め向かいで「吉川旅館」という割烹旅館を営んでいた。彼の父親もここで生まれ育ち8歳まで暮らしている。原爆投下より以前に旅館を別の人に譲り渡して疎開していたので吉川家は原爆の直撃を受けることは逃れたが、彼の父は原爆投下直後に疎開先から広島に帰っているため、そこで被曝した。

 この中島地区は爆心地からほど近いため、原爆投下により一瞬で跡形もなく消滅してしまった。現在の広島平和記念公園の下にはいまも中島地区の家々の瓦礫が埋まっており、番組ではその発掘調査の模様も放送されていた。そして、ちょうど吉川旅館があった場所に立った吉川晃司はこのように語る。

「父親たちが疎開をしてなかったら私はここに当然生まれてないわけですよ。この距離だから、影も形もないわけでしょう」

 そして彼は、敢えていまこのようなドキュメンタリー番組に参加したことの意図をこのように語る。そこには、過去に起こった悲劇から学ぼうとしない現政権への怒りがあった。

「そこに町並みがあったということも知ってもらいたいというのはあったかな。外国人がたくさん訪れるような街にもまたなったし。オバマさんがいらっしゃった効果というのも、ある角度から見ればそれは素晴らしいことだし、ただ、だからといって日米の地位協定は変わってないわけですよ。先日のね、やっと世界中が核に対してね、『ノーと言おうよ』って手をあげたなかで、なぜ日本はそうしないのかという。だから、『戦争終わってないよね』と思っちゃうわけですよ」

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