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こんな稲田朋美を「弁舌に一目惚れ」「次の総理」と…安倍首相の異常な“ともちんラブ”を改めて振り返る

 極右運動家を父親にもつ稲田氏だが、本人が言うには、「まったく政治に興味のない人間だった。新聞もろくに読まないし、政治についての意見などまったくなかった」(「The SEIRON WOMAN」産経新聞社)。彼女が保守に目覚めたのは、子育て中のこと。夫が講読していた産経新聞や「正論」(産経新聞社)を読みはじめ、藤岡信勝が主宰する自由主義史観研究会にも入会。「正論」などの読者欄投稿者となり、そこで生まれた縁から弁護士として百人斬り訴訟などに参加するようになっていったことだ。

 そんな極右道を爆走するなかで、運命の出会いが待っていた。当時、自民党幹事長代理だった安倍氏が、稲田氏に声をかけて自民党若手議連の勉強会に講師して招いたのだ。前出「週刊文春」では、安倍氏の側近議員が当時のことをこのように証言している。

「安倍さんは稲田さんの弁舌に一目ぼれした。女性の保守という点も珍しいと評価していた」

 そして安倍氏は、2005年の郵政選挙の刺客候補として稲田氏に出馬を自ら要請。初当選を果たした稲田氏は政治家の道を歩むようになったが、とくに安倍氏が稲田氏を重宝しはじめたのは下野時代だ。稲田氏は“ハガキ職人”として腕を鳴らした極右雑誌に登場しては安倍氏と同じように歴史修正主義発言を連発し、2009年に安倍氏が『創生「日本」』の会長に就くと稲田氏は事務局長代理を務めた。

 また、その一方で稲田氏は安倍派の“ヤジ将軍”として活躍。当時の民主党・菅直人首相にも「官僚の原稿を読まないで自分の言葉で答弁しろ」(いまならそっくりそのまま稲田氏に返したい一言だ)と迫るなど、ネット保守からの人気も高まっていった。

 そうして、安倍氏が2012年12月に政権を奪取すると、副大臣や政務官経験もない稲田氏をさっそく行政改革担当相に抜擢。つづけて公務員制度改革担当相に任命し、稲田氏は現在、加計学園問題の真相究明の大きな弊害となっている内閣人事局を発足させた。ちなみに稲田氏自らが「内閣人事局」と筆で書いた看板はあまりの字の下手さに「毎日見るのはしんどい」と職員からも苦情があがる代物だったが、それも安倍首相は「みずみずしい筆遣い」と評価。さらに、安倍首相は稲田氏を「次のスター」にするべく、2014年9月に自民党政調会長という党3役のポストに就かせたのだ。

「稲田は安倍首相の後継者」「日本初の女性宰相か」と騒がれはじめたのはこのころからだが、実際、安倍首相も稲田氏を「ポスト安倍」として育てようと財界人との会食にも同席させ、2015年1月には「財政再建に関する特命委員会」委員長に任命するなど、経験を積ませていた。

 一方、稲田氏は同年のアメリカ訪問時に「真のチャンピオンとは決して倒れない人ではなく、倒れても立ち上がる人」「安倍総理はその生きる証しだ」などと猛勉強した英語で安倍首相のアピールに回るなど、“愛情返し”に必死になってきた(「週刊現代」15年10月24日/講談社)。しかし、肝心の財政再建特命委では財務官僚の言いなりとなり、稲田氏の「能力不足」が党内から指摘されるように。「総理の意向」を振りかざすことからも評判は悪く、経産相のポストを考えていた安倍首相も折れざるを得なくなり、同年10月の第三次安倍改造内閣では政調会長に留まった。

 だが、それでも稲田氏が総理を目指していることを公言してきたように、安倍首相の下では自分は次期首相候補なのだと信じてきたのだろう。稲田氏は当時、自身が中心となって地元・福井と金沢間の北陸新幹線開通を推進。これは総理になるための地盤固めだと言われたが、安倍首相もこの計画に賛成していたといい、稲田氏からの要望を受けて安倍首相直々に福井駅の視察までおこなっている。

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