ネオナチは論外として、「従軍慰安婦問題や南京虐殺問題と、ナチスのやったホロコーストはちがう」「日本はナチスほど悪いことをしたわけではない」などと思い込んでいる人も少なくない。若い世代になると日本とナチスが同盟を結んでいたことすら知らない人も多い。しかし春樹は、戦争責任について国内でいつも議論の対象となるのはアジアへの侵略だけでなく、もっと俯瞰してナチスへの日本の加担もふくめて、その責任を問うているのだ。
しかも、それは結果的にそういった要素が盛り込まれたわけではない。この戦争での加害に対する責任こそが、『騎士団長殺し』という作品の大きな執筆動機のひとつだった。
この作品のちょうど真ん中、第一部の最後の章にそのカギがある。この32章は、章まるごと全部がある作品の引用だけで成り立っている。サムエル・ヴィレンベルクの『トレブリンカの反乱』という70万人以上のユダヤ人が殺害されたトレブリンカ収容所の数少ない生き残りが記したホロコーストについてのノンフィクションからの引用だ。
引用ではワルシャワ出身の画家がこんなことを語る。
「わたしはドイツ兵のために色彩画を描いている。肖像画なんかを。連中は親戚やら奥さんやら、母親やら子どもたちやらの写真を持ってくる。誰もが肉親を描いた絵を欲しがるんだ。親衛隊員たちは、自分たちの家族のことを感情豊かに、愛情を込めてわたしに説明する。その目の色や髪の色なんかを。そしてわたしはぼやけた白黒の素人写真をもとに、彼らの家族の肖像画を描くのさ。でもな、誰がなんと言おうと、わたしが描きたいのはドイツ人たちの家族なんかじゃない。わたしは〈隔離病棟〉に積み上げられた子供たちを、白黒の絵にしたいんだ。やつらが殺戮した人々の肖像画を描き、それを自宅にもって帰らせ、壁に飾らせたいんだよ。ちくしょうどもめ!」
末尾には、「隔離病棟」とは、トレブリンカ強制収容所の処刑施設の別称であるとの注が付されている。
家族を愛するドイツ兵が、一方でユダヤ人の子どもたちを殺戮する。そのドイツ兵たちに自分が殺した人々の絵を描いて見せてやりたい。この収容所の肖像画家は、肖像画家の〈私〉であり、雨田具彦であり、そして村上春樹自身だ。
肖像画家である主人公の〈私〉の制作プロセスは、春樹自身の創作論、春樹論の表明でもあるというのは、「歴史修正主義との対決」という核心には触れない評論家たちも共通して指摘している。
だとしたら、雨田具彦はなぜ『騎士団長殺し』を描いたのか。そして村上春樹はなぜ『騎士団長殺し』という小説を書いたのか。自分の犯した加害を忘れるな。自分の犯した加害から目をそらすな。これがその答えだろう。
さらに言えば、今回、春樹作品としてはじめて主人公が子どもをもつことが話題になっているが、これはその加害の責任を、社会の子どもとして、雨田具彦ら前世代から引き継ぎ次世代へと渡していくということも示唆しているのではないか。
断っておくが、これはけっして恣意的な解釈でも妄想でもない。春樹はこの数年、ずっと歴史修正主義の問題と向き合い、度々戦争責任について言及してきた。そして、『騎士団長殺し』発売後のインタビューでも、「小説家として」歴史修正主義と闘っていくことを宣言していた。後編では、その内容を紹介し、そのことに言及しないマスコミや文芸批評の問題を指摘したい。
(酒井まど)
最終更新:2017.05.14 11:57