〈歌詞の内容は、難しいものではなく、わかりやすく明るいものがいい。意味がないほど明るい。意味不明に明るい。この世で一番明るいものはなんだろう。
太陽だ。すべてのものに光を与え、命を与え、煌々と輝きながらも、誰もその実態に近づくことはできない。
マイケル(引用者注:マイケル・ジャクソン)みたいだと思った。世界中に元気と希望と音楽を届けていたのにひとりぼっちで、誰もその心に近づくことはできなかった。タイトルは『SUN』になり、歌詞には、マイケルへの個人的な思いを忍ばせた〉(『いのちの車窓から』)
しかし、なぜ星野の表現はこのように「外に外に」開かれたものになり、選ばれる言葉や音楽的な要素も、内省的で暗いものからカラッと晴れ渡るような明るいものに変わっていったのか? それは、二度も「死」を意識せざるを得ない体験をしたことで、「死んだらもうその先に楽しいことはない」ということに気がついたからだった。それは表現のみならず、生き方そのものを変えてしまうほど大きなものだったと言う。前掲「ダ・ヴィンチ」のインタビューで彼はこのように語っている。
「その人個人っていうものが、その人個人たり得る瞬間って、エゴから解き放たれている瞬間だと思うんです。“俺を分かってくれ”っていう痛々しい余計な不純物が取り除かれた時に、本当の意味でその人にしかできないオリジナルな表現が出てくる。それを分かっていても、どうしてもエゴが出ちゃったり欲が出すぎちゃったりしていたのが、倒れる前までの自分でした。でも、倒れて入院していた時に、人は死ぬんだなってことが色濃く実感として分かったんですね。死んだ後って何もないんだなってことが分かったので、死ぬまで楽しく生きないともったいないなって。もっと色んな人に会いたいし、色んな景色を見たい。その時に初めて大人になれたような、エゴっていうものから解き放たれたような感覚があったんです。それがやっぱり楽曲にも出ていると思いますし、文章にも出ているんじゃないかと思います。“俺を分かってくれ”とかじゃない、普通の自分のままでいられるようになったんです」
今月10日にゲスト出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)で、黒柳徹子に「これからのあなたの夢は?」と聞かれた星野は、旬のタレントとは思えぬこんな答えを返していた。
「僕の夢は、長生きしたいです。長生きして、なるべく楽しく朗らかに過ごせるのが一番いいなぁと」
この夢の背景には、過酷な体験を通して感じた切実な思いが隠れている。彼の表現がどんどんポップで開かれたものになっていっても、決して「大衆に媚びた」といったようなものに感じないのは、そういった理由があるのだろう。
(新田 樹)
最終更新:2017.12.01 12:40