科学者が戦争に協力してきたことへの反省から、日本学術会議は「軍事研究には絶対に従わない」と声をあげてきたその事実を、大西会長はこんな詭弁で覆そうとしたのだ。ちなみに大西会長が学長を務める豊橋技術科学大学は、2015年度の「安全保障技術研究推進制度」で研究が採択されている。
そして、「防衛のための研究ならOK」という詭弁と同様に、大学や研究者が軍事研究を肯定するために用いる言葉に、「デュアルユース」(軍民両用)がある。
たとえば、カーナビのGPSなどは軍事のために開発された技術だが、このように軍事技術が民生利用されれば生活は豊かになる、だからこそデュアルユース技術は推進すべきだ。そういう声は研究当事者のみならず大きい。
だが、名古屋大学名誉教授である池内了氏は、このような意見に対し、『兵器と大学 なぜ軍事研究をしてはならないのか』(岩波書店)のなかで以下のように反論している。
〈(軍民両用が)可能になったのは軍からの開発資金が豊富にあったためで、最初から民生品として開発できていれば、わざわざ軍需品を作る必要はないのである。これまでの例は、あくまで軍事開発の副産物として民生品に転用されたに過ぎない。要するに巨大な軍事資金が発明を引き起こしたのであって、戦争が発明の母であったわけではないことに留意する必要がある〉
さらに同書では、獨協大学名誉教授の西川純子氏も、アメリカの軍産複合体の例を綴るなかで、デュアルユースの危険性にこう言及している。
〈デュアルユースは科学者にとっても福音であった。これを信じれば、科学者にとって研究費の出所はどうでもよいことになる。科学者はためらいなく軍事的研究開発費を研究に役立てるようになるのである。研究者を「軍産複合体」につなぎとめることができたのは、デュアルユースという魔法の言葉のおかげだった。
しかし、科学者にとっての落とし穴は、軍事的研究開発費の恩恵にあずかるうちに、これなしには研究ができなくなってしまったことである。軍事的研究開発費を受け取らなければ彼らの研究はたちまちストップする。科学者は研究をつづけるために「軍産複合体」に依存する選択をとらざるを得なくなるのである〉
この指摘は、軍需産業界だけではなく軍学共同にもあてはまるものだろう。大学や研究者たちが軍事研究という言葉を糖衣で包むようにデュアルユースと言い換え、国から巨額の研究費を得るうちに、それに頼らなくては研究ができなくなってしまう……。そうなれば、国からの予算を確実に得られるより軍事的な研究に専念せざるを得なくなる状況が生まれるはずだ。