もちろんこれはあくまで、Dが小林に語ったことで、事実かどうかはさだかではない。しかし、当時、Dはさまざまなメディアにネタを売り込んでいたようで、「週刊新潮」(新潮社)16年2月18日号でもDがその頃、編集部に「証言」の見返りとして、弁護士費用や薬物治療費用などの負担を求めてきたという話を書いている。
しかし、こうした揺さぶりがあっても小林は清原を裏切ることはなく、その関係は変わらなかった。16年1月31日には、〈キャンプインを前に(中略)野球にかかわることができない悔しさ、もどかしさ、ふがいなさに苛まされていたに違いない〉清原から電話があり、翌日、群馬のコンビニで〈1グラムのパケと0.3グラムのパケ、注射器を2〜3本、自分が使っていたガラスパイプを渡し、清原さんから4万円を受け取った〉という。清原は群馬で泊まろうとしていたが、清原の彼女からの電話で清原は帰京することになる。
そして、2月2日深夜、小林の元へ「清原、逮捕」の一報が入る。同時刻、『NEWS23』では清原が連行される様子が何度も流されていた。小林氏が逮捕されたのは同月15日、公判で清原への覚醒剤譲渡を認めた。
今回、小林氏はなぜ告白本を出版したのか。直接本人にはインタビューできなかったが、代わりに担当編集者がこう代弁する。
「あれだけ世間を騒がせた事件にもかかわらず、清原氏は保釈後公の場に出ていないということもあり、当事者の言葉はほとんど世に出ていない状況です。小林氏は罪を認め判決を受け入れていますが、マスコミの報道は事実と異なる点も多くあったといいます。本書を通じて、少しでも事実を世に訴えたいと」
しかし、小林氏の意図は、メディアによって再び捻じ曲げられてしまった。今回の告白本刊行を聞きつけたTV局各局が小林氏の元へ殺到し、冒頭のテレビ出演へと繋がった。しかし取材を仲介した編集者は、取材時の様子をこう明かす。
「小林氏は少しでも本の宣伝になれば、と思い取材を受けました。もちろん謝礼もなしです。小林氏は特に、『清原氏は“シャブの中毒”というほどではなかった』ということを強く主張していました。注射で覚せい剤を打ったのも、2015年9月のことで、量も報道されているほど多くはないと」
だがオンエア内容はいずれも、“いかに清原が覚醒剤に溺れ、奇行が激しかったか。いかに依存から抜け出せないのか”といった清原バッシングを執拗に煽るようなものだった。
「実際には、小林氏が譲渡した頻度は月1回程度。群馬のラブホテル等で使用し、3日かけて体調を戻し、東京に戻っていたよう。これが覚醒剤に溺れている状態か否かは、素人の僕らでは判断しかねますが、テレビの論調とかけ離れたものであることはわかります」(前同)
今さらテレビに真相追求を期待するつもりはないが、少なくとも、この本からは、「ヤバイ」と散々叩かれてきた清原よりも、清原に群がったマスコミや有象無象の人間たちの方にえげつなさを感じるのである。
(林グンマ)
最終更新:2016.11.09 11:09