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女流官能小説家たちが「性を語る女性への偏見」を批判!「女性作家は処女かヤリマンのどっちか」といわれ…

 また、森氏はいまも、女性のオナニーはある種のタブーになっていると指摘する。

「セックスについて語る女性は多くても、オナニーについては語りたがらないのは、「欲求不満」だと誤解されてしまうからですよね。男性だったらオナニーしていてもモテないやつとは思われません。本当はオナニーは女性を幸せにできるはずだと、信じています(笑)」

 第一回団鬼六賞受賞者の花房観音氏も、前掲書のなかでこのように語っていた。

「セックスは人生を左右する行為だと思うんですけど、どうしても女性の「性」はないことにされるか、逆にヤリマンや娼婦として語られるなど、両極端なんですよね。男性のセックス観は変わらずに保守的で「女性は、好きな相手とじゃないとできない」という考え方が強い。ただ、望まない妊娠など、女性にはセックスにリスクが大きいのと、男性が女性より優位に立ちたいがために、女性の性欲は封じ込められがちです。本当は男も女も性欲のあり方はそう変わらないのに」

 花房氏が指摘したのは、まさにフェミニズムの議論において「性の二重規準(ダブルスタンダード)」として批判されてきたものだ。男性は好色であることに価値があるとされ、女性は受動的で無垢であることを求められる。

 しかも、この男性本位の身勝手な考え方は「女性の性欲」の存在を封じ込めるだけでなく、一方で、男性の性欲を満たす娼婦的な存在を作り出してきた。花房氏が指摘するような「性欲のない女性か、ヤリマンか」という極端な二分化を生み出してきたのだ。

 たとえば、高畑裕太事件で橋本マナミに「お前がやらせないのが悪い」と暴言を吐いた梅沢富美男や、沖縄の米軍に対して「日本の風俗の活用を検討してほしい」と提案した橋下徹などはその発想の典型だろう。彼らのような「守るべき女」と「暴力が向けられて構わない女」を無意識に分けて考える男たちは今も多い。

『性を書く女たち』で、前述の南綾子氏は、周囲の人からまさにこの二分化について指摘されたこんな言葉を紹介している。

「そういえば昔、「官能小説を書く女の人って、ぜんぜん経験がない人か、ヤリまくっている人のどちらか。南さんみたいに、普通に何人かと付き合ってセックスをしてきたような人はまれ」なんて言われましたね」

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