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なぜ韓国が嫌いなのか、韓国は本当に「反日」なのか。自分の目で確かめるために韓国を自転車で走る異色ルポが

 その後も著者は半島北上を続け、終盤、朝鮮との国境付近まで行きつく。同国の集落が見渡せる鳥頭山統一展望台の歩行者道を汗だくになって登りながら、自身にこう問いかける。

〈僕はなぜ見たがるのか?簡単だ。行きたいのだった。ずっと朝鮮半島の大地を走ってきて、自然にも集落にも食事にも愛着が育っていた。歴史の問題で悩むことはあっても、この国が好きになっていた。(略)その国がどれだけ異様な体制になっているかは情報で知っている。日本に害を及ぼすことも情報で知っている。だが同様に情報でいろいろ知っていたはずの韓国で、良くも悪くも知らなかったことにたくさん出会ってきたではないか。行きたい。それが無理なら、せめて少しでも、見たい〉

 反発は隠さない。日本と朝鮮半島との間で歴史的に繰り返されてきた問いに、あえて決着もつけない。生身で出会う風景に、人々との歴史観の相違に、著者はただただ向き合い、あがく。

 その姿に惹起され思い出したことがある。戦後日本人の韓国観についてまとめた鄭大均教授(首都大学東京)の研究だ。彼は戦後を(1)無関心・避関心の時期(1945-64年)、(2)政治的関心の時期(1965-83年)、(3)文化的関心の時期(1984年以降)の3つに区分し、とりわけ80年代以降、日本人が韓国や韓国人について書いた文章は一方が賞賛・感動・敬意に、他方が嫌悪・蔑視・反感に偏っていることを指摘する。総体としてみれば多様な関心や態度が競合し「韓国に対する眺めは今日著しく混乱している」(『韓国のイメージ』鄭大均/中公新書)。だとすれば、『韓国「反日街道」をゆく』の著者が、韓国の土を踏んでなお、かの国にアンビバレントな感情を抱くのはおかしなことではない。単なる個人的な体験の次元をこえて、歴史的にも繰り返されてきた風景と言えよう。

 そもそも、家族や友人など、身近な人間関係を振り返ればわかるように「好きか嫌いか」だけで割り切れないことはザラにある。隣国を身近な存在として意識するほど、怒り、反発、戸惑いなどあって当然だ。しかし、それでも、知り続ける。この本のなかで愚直なまでに繰り返されるのは、そうしたメッセージだ。

 本書は研究書ではなく「旅行記」である。著者もあとがきで断っているように「まとまった思想を説く」ものではないし、「結末はあっても結論は、ない」。しかし言い換えるなら本書の掛値のない面白さもまた、結論を求めず、身体ごと飛び出そうとする、その姿勢に支えられている。いち個人の旅行記に留まらず、ノンフィクションというジャンル自体が持つ魅力を余すところなく兼ね備えた一冊だ。
(松岡瑛理)

最終更新:2016.04.27 07:45

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