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May J.が『アナ雪』バッシングを振り返って当時の心境を告白! 「幻聴で“自分の曲じゃないのに”という声が」

 May J.の主張は間違っておらず、『アナと雪の女王』において、ほとんどの国が劇中で歌う歌手とエンドソングで歌う歌手を分けており、そこには〈音楽で走らせるアーティストと、劇中歌で走らせるアーティストを分けることで、楽曲の魅力を幅広く伝えていきたい〉というディズニー側の明確なコンセプトがあった。そして、曲を伝える立場としてブッキングされたMay J.の方がメインでメディアに出演し「Let It Go〜ありのままで〜」という楽曲、および『アナと雪の女王』という映画をプロモーションしてほしいというのもディズニー側の意向だった。

 しかし、前述の『情熱大陸』では、発言を編集されていたというのもあり、そのあたりの事情が一切伝わらず、ただただMay J.が不満げに言い訳を言っているというように見えてしまった。

 そして、このバッシングの渦中で、さらに彼女を追い込んだのがSNSである。

〈私、ネットで自分がバッシングされているコメントを、よせばいいのについつい見ちゃうんですよ。一時期は見ないようにしていたし、スタッフからもエゴサーチ禁止令が出たんだけど、世間から何て言われているか、どうしても確かめたくなる。見ればショックを受けるってわかっているのにわざわざチェックして、「こんなこと言われているけど、気にしないようにしよう」って思うんです。でも、気にしないと決めた途端、落ち込む。当たり前ですよね(笑)。
 多分、当時はちょっとでも、ポジティブな意見を見つけたかったんだと思う。それを見ればちょっとでも救われる気がしていたんですよ。でもネガティブな声のほうが膨大すぎて結局、逆効果でした。見る度にどんどんツラくなって怖くなっていった〉

 もうなにを言っても誤解される──。そう悟ったMay J.は発言そのものを自制するようになる。しかし、それがまたもや逆効果を生んでしまう。

〈その頃から、ちょっとでも毒のある言葉は一切、言わなくなったんですよ。元々、毒を吐くタイプじゃないけど、何を聞かれても「そうできたらいいなぁと思います」みたいな、曖昧な表現しかできなくなって、発言の幅がすごく狭くなっていった。で、そうなると絵に描いたような優等生発言しか出てこなくなるから、今度は「May J.はつまらない」って叩かれるわけです〉

 こうして、ある種ネットいじめのような状況に陥った彼女が最も追いつめられていたのは、その年の年末だった。心理的なストレスからなのか、この少し前から歌っている途中に急に声が詰まるような症状に見舞われていた彼女は、レコード大賞の時、ついにこんな妄想に襲われる。

〈何が苦しいって、歌う前から「自分の曲じゃないのにレコード大賞で歌っている」っていう批判の声が、心の声として聞こえてくるんですよ、マンガの吹き出しみたいに…。その頃は世間がどういう動きをしているのか、私に対して何を言っているのか予測できるようになっていたから、いまこの瞬間、テレビを観ている人たちはいっせいにツイートしてるって、妄想なんだけど、その絵が浮かんでしまうわけですよ〉

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