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『ふたりの死刑囚』公開直前インタビュー

「名張毒ぶどう酒事件」奥西死刑囚を追いかけたドキュメンタリー製作者が語る、再審を阻む“司法の硬直”

名張毒ぶどう酒事件を追い続ける東海テレビ・齊藤潤一氏

──東海テレビは長い間名張事件を追い続け、ドキュメンタリーや映画を公開しています。そもそも、名張事件に興味を持ったきっかけはなんですか?

齊藤 東海テレビとしては、1987年に第1作目の『証言』というドキュメンタリーを放映していますが、僕が名張事件を取材するようになったのは、第7次請求にあたって、2005年に名古屋高裁で再審開始決定が出たことです。上司から題材だけ渡されたかたちで、右も左もわからないまま『重い扉』を撮りました。それまではこの事件ついて詳しく知らなかったので、最初は白紙の状態。「もし有罪だったら……」と考えた瞬間もありましたよ。やった人間をやっていないと報道したら大変なことになりますから。だから、一生懸命調べて、全ての裁判資料を読み、たくさんの関係者を取材して。そうして『重い扉』の制作過程で「これはもう冤罪の可能性が高い」と自分のなかでそう思ってからは、迷いはなくなりました。スッと“落ちた”んです。だったら、これは伝えないといけない、と。

 2005年、弁護団が提出した新証拠が決め手となって、名古屋高裁の小出錞一裁判長は、名張事件の再審開始決定をくだし、その後しばらくして裁判官を辞した。検察は即刻異議申し立てを行った。翌年、新たに裁判を担当した門野博裁判官は、新証拠をことごとく否定して奥西の自白を重視。再審決定を取り消した。その後、門野裁判長は東京高裁裁判長に栄転し、定年退職を迎えている。

齊藤 実は、『重い扉』を撮るまで「裁判所は真実をすべて明かしてくれるところ」だろうと、漠然と思っていたんですね。ちょうど裁判員裁判が始まる前だったので、多くの一般の市民の人たちは「裁判所ならすべての真実を明かしてくれる」「検察は正義の味方だ」というふうに思っていたと思います。でも名張事件の取材をして、裁判所の縦社会や、検察の最良証拠主義、つまり自分の都合のよい証拠しか出さないこと、そういった司法の矛盾を感じたんです。

──名張事件発生から半世紀以上が経過し、関係した捜査官、検察官、裁判官、そして弁護士も世代が変わっているはずです。時代も変わり、科学捜査の技術も進歩した。にもかかわらず、なぜ再審開始が難しいのでしょうか。

齊藤 検察にしろ、裁判所にしろ、一度確定した判決を覆すというのは、組織としてはとんでもなく大変なことです。たとえば、裁判所の場合、よく言われるように、最高裁を頂点として高裁、地裁というふうに続くピラミッド型です。人事権は最高裁が握っている。最高裁の先輩が死刑と確定したものを、下の後輩が覆せば先輩の顔に泥を塗ることになりますし、やはり、裁判官自身の出世にも関わってくるんですよね。何人もの裁判官OBからそういう話を聞いています。もっとも、各裁判官の独立は憲法で保障されているはずです。しかし、自分は出世などどうでもよいという裁判官がいるかどうか。多くは、どうしても組織のしがらみに縛られがちになっている。さらに、再審の請求をすることができるのは、親や子、兄弟など、直系の親戚だけ。代理人も認められていません。親族がいなくなったら、もうその事件全体が闇に葬られるということですから、それは、おかしいですよね。

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