その2年ほど前に刊行された『本気になればすべてが変わる─生きる技術をみがく70のヒント』(文藝春秋)を開くと、松岡がタイガー・ウッズとゴルフ大会で一緒にラウンドした時のエピソードが書かれている。ウッズはいい球を打てたときには自分で「ナイスショット!」と誉め、ミスショットをすると落ち込む様子を見せずに「ネクストタイム!」と言ったそう。「自分の思いを言葉に出し、自分をどんどん盛り上げていく」とウッズから学んだことを記しているが、その2年後に出した本では、「ネクストタイム!」が、ウッズから聞いたとの経緯説明はなく、自分の言葉として宣言されている。
2009年に出た『本気になればすべてが変わる』ではアメリカのメンタルトレーニングの先生に「レストランでメニューを開いたら、5秒以内に食べたいものを決める」という課題を与えられ、その通りに実践してきたエピソードを語っているが、2012年に出た『人生を変える 修造思考!』(アスコム)では、「僕は、一度のオーダーで終わることはほとんどありません。(中略)僕のテーブルからメニューがなくなることは絶対にありません」と書いており、強気のスローガンは、経年によって、微調整を重ねて新たなスローガンとして上書きされていくのである。「松岡修造=ブレない男」という方程式で彼を評するのはまったく適確ではない。彼のスローガンは、それなりにブレてきたのだ。
全体的に、ブラック企業のスローガン的な無理強いが含まれるところは気になる。「日めくり」カレンダーにある「無理なんて無理!できないなんてできない!」という言葉の解説には、「マイナスの言葉でも、数学のように二つ掛け合わせると、なぜか不思議とプラスの言葉に変わるんだ」とあるし、「諦めないを諦めるな!」の解説には「昨日よりも今日、今日よりも明日、必ず前に進むことができる」とある。なんだか、“和民グループ“っぽい。いまだに会社案内の経営理念体系に「勝つまで戦え、限界からあと一歩進め、結果がすべてである」「常に謙虚なれ 常に感謝せよ」「額に汗した利益のみを、利益と認める」などと載せているこの会社のスローガンと松岡修造のエッセンスは、彼としては心ならずであったとしても、方向性が近似している。
これまで分析してきたように、松岡修造の言葉は流動しているし、個人として強制性を発動させようと使っている言葉ではない。相田みつをから続く、時代に寄り添った正統派の系譜だ。しかし、雑なスローガンを欲する“和民”的な面々に甘い蜜を提供していることは確かである。要するに、松岡修造の言葉はどこまでも純粋に作られたものなのだが、それを「松岡修造だって、こう言っているんだよ」という用い方をする誰かがいるならば、その途端に危険が生じるという仕組みになっているのだ。
(武田砂鉄)
■武田砂鉄プロフィール
1982年生まれ。ライター/編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「マイナビ」「Yahoo!ニュース個人」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社で、2015年ドゥマゴ文学賞受賞。
最終更新:2018.10.18 03:40