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小藪千豊が夫婦別姓をドヤ顔で猛批判! 「夫婦同姓は何億年続く日本の伝統」「別姓を主張する女は不幸になる」

 そして、夫婦同姓によって発生する問題として「女姉妹だったり一人娘の女性が結婚後の姓を自分のものに変えてほしいと言うと、彼氏やその家族に拒否され、泣く泣く別れた」という例が挙げられると、「お父さんお母さん、彼氏、自分。この3つの調整もせんと制度変えるっていう考え、(そういう女性は)何やっても不幸せになると思いますよ! 人のせいばっかりですやん!」「駆け落ちしたらよろしいやん!」と猛然と批判した。

 つまり小籔は、自分の名字を変えたくないと考える女性に「日本の伝統たる制度を一国民のワガママで変えようとするな」「不便なことくらい我慢しろ」「別姓を主張するような女は不幸せになる」と言い放ったのだ。

 以前から本サイトでは小籔の保守思想から発せられる放言を紹介してきたが、いやはや、今回の発言はほとんど暴言だ。というより、あまりにバカバカしすぎてため息が出る。

 まず、小籔は夫婦同姓を「何億年と日本がずっとしてきたこと」「脈々とつづいた制度」と言うが、これが根本的に間違っている。

 元々、日本において国民全員が「氏」を名乗らなくてはならなくなったのは明治以降のこと。明治民法によって夫婦同姓が定められたのは明治31(1898)年で、“何億年”どころか、たった117年の歴史しかない(だいたい皇紀で数えても日本に何億年の歴史などないのだが)。

 だが実際、小籔のように「夫婦同姓は伝統」と言って別姓に反対する残念な人は多い。仮に小籔がたった117年の伝統を重んじるというのなら、その「伝統」が生まれた理由を知る必要があるだろう。

 そもそも夫婦同姓は、現代人が考える「夫婦の愛情を高めるため」「家族の絆を深めるため」などという理由から定められたわけではない。明治民法では戸主を絶対権力者に位置づける「家制度」が定められていたが、そこでは「氏」を「家」の名称としていたからだ。そのため夫婦も子どもも皆、同じ氏に統一していた。

 そして、この家制度の下で女性は圧倒的に地位が低く設定されていた。女性は男性の「家に入る」のが基本。妻は財産を夫に管理され、親権も与えられず、妻の不貞は罪に問われた。妻は戸主に絶対服従、夫の所有物のような存在だったのだ。

 しかし戦後、日本国憲法に改められた際、憲法第24条に「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」が定められ、家制度は廃止された。立命館大学法科大学院教授の二宮周平氏の著書『家族と法 個人化と多様化の中で』(岩波新書)には、〈(家制度の廃止により)氏は家の名称ではなく、個人の呼称になり、もはや氏の異同は法的な効果を生まない〉と書かれている。つまり憲法においては、同姓は強制されていないのだ。

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