織原花子さん
府内の私立・公立高校の生徒たちが学校の垣根を越えて集まった同会は、年収288万円から430万円以下の家庭でも7万円もの学費値上げとなる私学助成削減の撤回を求め、さまざまな運動を展開した。そして08年10月、織原さんを含む12人のメンバーが府庁で橋下と面会し、窮状を直接訴えることになった。その時の模様を彼女はこう語る。
広い部屋に入って行くと、周りを大勢の記者やカメラマンが取り囲んでいて、すごく緊張しました。橋下さんが入ってくると、一斉にフラッシュが光り、「なんでこんなところに来てしまったんやろ。早く帰りたい」と思った。橋下さんは最初にこう言いました。「君たちもいい大人なんだから、今日は子供のたわごとにならないように」って、威圧的な感じで。当時すごい人気のあった知事にいきなりそんなことを言われたらひるみますよね。だけど、メンバーは一人一人順番に、自分のしんどい状況や思いをしっかり訴えました。20分の予定だったのが、1時間半近くになったと思う。
私の学校の先輩は、「いじめで不登校になって勉強が遅れ、内申点も付かないので私立に行くしかなかった。父親は病気で働けず、学費が大きな負担になっている」と、自分の傷も隠さず、思いきって話しました。でも、その先輩に向かって橋下さんは言ったんです。「いじめられた時になんで転校しなかったんですか? 転校すればよかったじゃないですか」と。その突き放すような冷たい言い方に、先輩は泣いてしまいました。私たちが抱えてきた傷や、どうしても拭えない劣等感を、彼はえぐるような言い方をするんです。徹底的に自己責任論で押してくる。
「橋下知事は『子供が笑う』を公約に当選されましたが、私たちは笑えません」という意見に対しては「『子供が笑う』とはみなさんが笑うためではない」と突っぱね、「高校は訓練の場です。社会に出るまでの通過点でしかないんだから、そんな訴えには意味がない」と、教育の意義を全否定するような言葉もあった。そして、「それが嫌なら、いまの政治家を選挙で落とせばいい」「自分が政治家になってこの国を変えるか、日本を出て行くしかない」です。橋下さんは、自分が(母子家庭という)しんどい環境から公立の進学校に入り、弁護士になったという自信があるせいでしょう、困っている人に対してすごく厳しい。貧困家庭に生まれたのも、勉強してそこから抜け出せないのも自己責任だという考え方です。でも、ほんとうは教育って学力競争だけじゃない。生きづらさを抱えている子に、生きる希望を与えるものでしょう。横で聞いていて、悲しかったし、許せないと思った。