単に山本が断られただけ、断るための方便と思われる向きもあるかもしれないが、映像化を断られたのは、山本だけではない。
司馬自身、たとえば『「昭和」という国家』(日本放送出版協会)のなかで、
「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されえたくない作品でもあります。
うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓舞しているように誤解されたりする恐れがありますからね。
私自身が誤解されるのはいいのですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです」
としている。
実際、山本だけでなく、NHKも司馬の生前『坂の上の雲』を映像化しようとして断られている。
『NHKスペシャル』を立ち上げるなどした元NHK教養部のプロデューサーの北山章之助氏が、『手掘り司馬遼太郎 その作品世界と視覚』(NHK出版)のなかで、NHKで過去に2度『坂の上の雲』の映像化許諾を依頼しいずれも司馬に断られたことを明かしている。
北山氏自身は教養番組担当でドラマとは関係なかったが、司馬と関係が深かったことから、放送局長、会長直々の指示で、映像化交渉のために司馬のもとを訪れたという。二度目はNHK会長からのたっての依頼ということもあり、司馬はわざわざ断りの手紙をしたためた。
「その後、考えました。
やはりやめることにします。
“翻訳者”が信頼すべき人々ということはわかっていますが、初めに決意したことを貫きます。
『坂の上の雲』を書きつつ、これは文章でこそ表現可能で、他の芸術に“翻訳”されることは不可能だ(というより危険である)と思い、小生の死後もそのようなことがないようにと遺言を書くつもりでした。(いまもそう思っています)
小生は『坂の上の雲』を書くために戦後生きたのだという思いがあります。日本人とはなにか、あるいは明治とはなにか、さらには江戸時代とはなにかということです。
バルチック艦隊の旗艦「スワロフ」が沈んだときから、日本は変質します。
山伏が、刃物の上を素足でわたるような気持で書いたのです。気をぬけば、足のうらが裂けます。
単行本にしたときも、各巻ごと、あとがきをつけてバランスをとりました。
たしかにソ連は消滅し、日本の左翼、右翼は、方途を見うしなっています。状況がかわったのだということもいえます。
が、日本人がいるかぎり、山伏の刃渡りにはかわりません。日本人というのは、すばらしい民族ですが、おそろしい民族(いっせい傾斜すれば)でもあります。
『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います。
以上、このことについては議論なし、ということにして」