同書によると、靖国神社はもともと、戊辰戦争での戦没者を弔うために建立された東京招魂社が起源となるのだが、この時に合祀されたのは官軍側の戦死者だけだったという。
〈当然のことながら彰義隊や会津・白虎隊は誰一人祀られていません。東京招魂社は幕末から明治維新にかけての勤王派や尊攘攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側戦没者のための招魂社です。つまり明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀ったのです〉(本文より)
しかも、賊軍の戦死者には極めて冷淡な扱いで、〈敗者の死者は、まさに犬死に同然で、なんの配慮もなされなかったばかりか、一時はその供養さえも許されませんでした〉(同)
結果、戊辰戦争で英雄となったものの、のちの西南戦争で逆賊扱いとなった西郷隆盛も靖国には祀られていない。
この「勝てば官軍」だけを祀る靖国原理を、白井は〈古くは菅原道真や平将門といった敗者を、その霊を慰撫するために「神」として祀った日本の伝統から、大きく逸脱するもの〉だと分析。敗者=賊軍を排除する靖国原理に倣えば、先の戦争で犠牲になった日本兵は、靖国に祀られる資格がないというパラドクスに陥ってしまうことを指摘。親米保守の自称愛国者たちに〈彼らが拝んでいるのは、あの戦争で亡くなった連合国の死者ではないのか〉という皮肉をつきつける。
たしかに、この事実だけをとっても、靖国神社が、祖先信仰や死者の霊を敬うなどの日本の伝統にならった神社では全くなく、大日本帝国がひたすら戦意を煽るために恣意的に作り上げられていった、非常にいびつな存在だったということがよくわかるだろう。
白井のいうように〈靖国によって象徴されるものは、日本の周辺諸国民にとって厄災であっただけでなく、大部分の日本国民自身にとっても厄災でしかなかった〉のだ。