本書では、柔道事故がこれまでいかに放置されていたか、精神論で片付けられてきたかについても細かに記されている。「しごき」「特訓」という名の元に、大きな身体の先生が、小さな子供を平然と投げ飛ばしてきた柔道の世界。たとえ「具合が悪い、頭痛がする」と申し出ても「気合が足りない」で済まされてしまい、不慮の事故をいたずらに積み重ねてきたのだ。
先日、残念ながら福岡県の中学校で柔道による死亡事故が起きてしまったが、09年に4件、10年に7 件、11年に3件と起きていた柔道による死亡事故は、12年から14年まで1件も起きていなかった。著者は直接には記さないが、この柔道事故の急速な改善は、内田氏による警鐘の成果である。死亡事故を集積し発表したことが、柔道界が方針を改めることにつながった。06年版の全柔連『柔道の安全指導』では重大事故について「原因はほとんどが不可抗力的なもの」としていたが、11年版では「事故要因の分析は、指導者や管理者が安全対策を講じるうえで欠かせない」と改まった。確かな数値を提示されたことで、闇雲な気合を見直さなければならなくなった。
先日、残念ながら福岡県の中学校で柔道による死亡事故が起きてしまったが、09年に4件、10年に7 件、11年に3件と起きていた柔道による死亡事故は、12年から14年まで1件も起きていなかった。著者は直接には記さないが、この柔道事故の急速な改善は、内田氏による警鐘の成果である。死亡事故を集積し発表したことが、柔道界が方針を改めることにつながった。06年版の全柔連『柔道の安全指導』では重大事故について「原因はほとんどが不可抗力的なもの」としていたが、11年版では「事故要因の分析は、指導者や管理者が安全対策を講じるうえで欠かせない」と改まった。確かな数値を提示されたことで、闇雲な気合を見直さなければならなくなった。
本書では、組体操や柔道事故の議論の他に、「1/2成人式」「部活動顧問の過重負担」なども詳しく議論されている。著者は議論に持ち込んでいないが、本書で取り上げられた教育現場の諸問題を知るにつけ、18年度から教科化される「道徳」との絡みが否応にも気にかかる。ひとまずは、それぞれの成績表に5段階などの数値ではなく記述式で評価されることになる。昨年11月、中教審が下村博文文科相に提出した答申では「指導要領に『誠実』『正義』などのキーワードを明示して分かりやすく」(47NEWSより)してほしいと申し出たし、第一次安倍内閣が発足させた「教育再生会議(現・教育再生実行会議)」では、07年の報告書で「感動を与える教科書を作る」と本音が見え透ける言葉を入れこんでしまっている。
つまり、道徳の教科化やあるべき教科書が議論されるなかで、「正義」「感動」といった言葉を機能させようとしているのだ。言うまでもなくこれらには、内田氏の「『感動』や『子どものため』という眩い教育目標は、そこに潜む多大なリスクを見えなくさせる」という懸念をそのまま向けたくなる。