こうしたトンデモヘイトデマはいかにして練り出されたのか。たとえば、今年5月に刊行された『さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側』(ころから)のなかには、この「朝鮮人虐殺はなかった」論を徹底検証する論考が掲載されている。執筆者は加藤直樹氏。昨年、多岐にわたる当時の証言や記録を集めた『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)を発表し、高い評価を得た書き手だ。
加藤直樹氏はこの論考で、『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(以下「なかった本」)の矛盾点や無根拠性、調査研究とは名ばかりのずさんな資料の使い方を次々と挙げている。
たとえば「なかった本」は、朝鮮人暴動がデマではなかったと主張するために、朝鮮人による放火や井戸への投毒を報道する当時の新聞記事を多数引用。これが確たる証拠であると主張しているのだが、この新聞記事はそれこそ逆で、多くの関東大震災の研究者がデマの証拠として挙げてきたものなのだ。
当時の新聞は震災の混乱で、「富士山爆発」「伊豆諸島沈没」「名古屋全滅」「山本首相暗殺」などといった無茶苦茶な誤報・虚報を飛ばしていた。朝鮮人暴動を伝える報道もこうした震災直後の混乱により生み出されたものであった。
事実、朝鮮人暴動の虚報は、震災発生から1週間後にはパタリと姿を消している。それは、9月3日に、警視庁が新聞各社に「朝鮮人の妄動に関する風説は虚伝にわたることが極めて多く…」(『大正大震火災誌』、1925年)と要請し、7日には緊急勅令として流言やその報道を取り締まる治安維持令が発せられたからだ。
しかも、新聞で報道された朝鮮人暴動を見たという証言者はおらず、報道内容は公的な調査によって事実ではないことが分かっていく。たとえば、内務省の震災報告書『大正震災誌』(1926年)には、朝鮮人暴動の記事が震災直後の誤報・虚報の例としていくつも挙げられている。
にもかかわらず、「なかった本」は、震災直後の誤報・虚報を「証拠」として、「朝鮮人暴動は実際にあったのだ」などと喧伝しているのだから、呆れるほかない。
さらに、「なかった本」はその“トンデモ読み替え”の根拠として政府隠蔽説を主張している。新聞報道は事実だったのに、政府が“朝鮮人テロリストを追い詰めると皇室を襲撃する可能性がある”という理由で朝鮮人の襲撃を隠蔽したというのだ。