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「甲子園がサバンナに」高校野球でスポーツ報知がアフリカ系ハーフのオコエ選手を人種差別! 根底にある偏見とは 

 アメリカ南部には、1876年から1964年までジム・クロウ法という、「黒人」(ここではアフリカ系だけでなく広く有色人種を指す)の公共施設利用を制限あるいは禁止する法があった。本書によれば、この人種分離主義体制下で「黒人」アスリートは〈知的にも身体的にも『劣った人種』と見なされ、プロとアマを問わず、スポーツ界とは縁遠い立場におかれていた〉。

 しかし、30年代になると、「黒人」アスリートは飛躍的に増加した。新興産業としてのスポーツ興行は、実力主義の下、有色人種にも門戸を開く傾向が強かったからだ。こうした状況下で、一部の革新的な考えを持つ人たちのなかで蓄積されていた人種分離主義政策に対する不満のはけ口は、スポーツ界に向けられた。そして、実際にアメリカでは多くの「黒人」メダリストが誕生したことで、科学者たちも人種によるスポーツでの優劣を検証し始めた。だが、はっきりとこれを証明できるものはなかったという。

 こうして「黒人」がスポーツ界を席巻したという事実と、人種分離主義に対する抵抗は、第二次大戦後の公民権運動に繋がっていく。だがそのなかで同時に“黒人=高い身体能力”というステレオタイプもまた、この社会状況の急激な変化の副産物として広まっていったという。

〈民主化への流れのなかで、白人と黒人が対等な条件の下に競技場で勝負し、雌雄を決する機会が設けられた。白人は勝つこともあれば、負けることもあった。敗北を喫した白人たちは、以前から彼らの心理に潜在していた差別的な意識や志向によって、黒人の勝因を先天的な資質や才能にあるとした。それは、敗北の屈辱やきまり悪さを紛らわす格好の口実となった。「やつらは生まれつきなんだ」「やつらは努力しなくても勝てるんだ」〉(前掲書より)

 こうした時代のうねりのなかで、人種による身体能力優越論は、他方の「黒人」にとっても、これまで不当な扱いを受けていた自らの自尊心を高めるものでもあった。ゆえに、このステレオタイプは「黒人」「白人」の双方から歯止めがかかることなく拡大の一途をたどっていき、結果、社会に定説として流通したのである。

 もっとも、陸上競技やバスケットボール、ボクシングなど、競技や種目によっては、スーパースターの多くを「黒人」が占めているというのもまた事実ではある。しかしこうしたリアリティの問題と、「黒人」という単純化された分類を切り口としてこれを語ることは、全くの別問題だと川島教授は指摘する。

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