現代建築家にとって建築の利便性・安全性・経済的効率性などは全く考えなくてもいいことらしい。コンセプトや見かけの斬新さだけが求められる業界なのだ。
しかし、だ。コンセプトや奇抜さを追求することが現代建築のトレンドならばそもそも建築家なんて必要ないのではないか? 実現性を無視した奇抜なCGイラストや、すぐに潰れてしまうような模型が建築だとまかり通っているなら、技術の進歩でどんなデザインも実現できるようになっているわけだから、設計のせの字も知らない芸術家が建築デザインをしたって良いのではないか?
芸術性やコンセプトを磨くことにおいてはむしろ芸術家のほうが専門だ。もしも建築が芸術なのだとすれば、アーティストが好き勝手に描いた作品を大手ゼネコンの設計部門が実現化することが正しいやり方なのではないか?
それは新国立競技場も同様かもしれない。安藤忠雄は昨日の会見で、まだザハ・ハディドにこだわっていたが、女性器をモチーフにするなら、たとえば、ろくでなし子にやってもらったらどうだろう。手癖で同じようなデザインを繰り返しているザハなどより、「まんこ」に正面から向き合っているろくでなし子のほうがずっと、オリジナルでアバンギャルドなものができる気がするのだが……。
(東池 誠之)
最終更新:2015.07.19 02:01