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「ヘイト」を追及し続けるジャーナリスト・安田浩一インタビュー(後)

ネトウヨを生み出したのはメディアだ! ニコ動は差別に加担したことのケジメをつけろ

■「ネトウヨ」を生み出したのは活字メディアだ

──本当は読者の側に「高みの見物を決め込んでいるメディアはおかしい」と見ぬいてほしい。でも現状はどちらかといえば、メディアと読者の共犯関係になってしまっているところに問題の根深さを感じます。

安田 僕は基本的に、読者にだけ責任を押し付けることはできないと思います。そもそも読者を焚き付けたのはメディアです。ネットがある前から保守系のメディアは在日特権をはじめとする弱者特権について書いてきた。活字メディアがいわば薪をくべて、そしてネットがそこにガソリン捲いて火をつけた、みたいなところがやっぱりあるので。
 じゃあ、「ネトウヨ」と言われている人たちはどうか。保守論客の古谷経衡が、「ネトウヨは本は読まないけど、タイトルとヘッドラインは読む」と言っています。もっといえば、彼らはヘッドラインとタイトルだけでもってすべてを判断してしまう。
 ネット時代の弊害かもしれないけど、例えばネット媒体だと1500字~2000字くらいの記事しか載せないから長いものに耐えられないという人が増えてきている。僕自身、スマホで記事を読むときにあまり長いと面倒くさいなとは思います。でも、それに慣れっこになると長い記事が読まれなくなってしまう。そうなると読み手の質もやっぱり落ちていきますよね。
 記事を読んでもらうことと、読み手の質を低下させることのバランスは難しくて、ジレンマです。僕たち自身がもう既にそこに手を貸している部分もあってそこは難しい。ただ、差別─被差別の関係を単なるプロレス劇に仕立てあげてしまうことに関してはやっぱりメディアと読者の共犯関係だと思うんですよね。読者には観客席からグラウンドになだれ込めとは言いませんが、グラウンドと自分の生きている世界は「地続き」であることは自覚してほしい。差別─被差別関係は実際には混沌としているし、笑って見ている自分たちももしかしたら被差別の側にまわるかもしれない。でも結果的に冷笑しながら、しかし差別側に加担する自分に気づかないまま生きている。そこをきちんと自覚してほしいんです。
 もっときつい言い方をすると、観客席で見て楽しんでいるだけの観客は、差別者のベンチと同じところにきちんと座らせるべきだと思います。観客席にいることは本来許されない。「差別は許せない」という側に社会全体が立つべきだと思っています。差別─被差別を楽しんでいても、そこから生産的な文化なんて生まれるわけがないんだし。

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