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岸信介と真逆…安倍晋三が一切触れない“もう一人の祖父”は反戦政治家だった!

安倍家と岸家の関係略図 寛は晋三が生まれる前に死去

 当時、戦争を支持して翼賛会に入らなければ政治生命すら危うくなりかねない時代だった。それでも寛は翼賛会からの推薦を拒否。懐柔のために3千円の電報為替が届いたが、それを送り返すことまでした。

「寛には昼夜を問わず警察の執拗な尾行がつく。(略)地元で寛は、戦時中でも筋を曲げなかった、気骨の人として古老の間で語り継がれている」(『絶頂の一族』より)

 だが、寛は安倍首相が生まれる以前の終戦翌年、戦後第1回総選挙の出馬準備の最中、51歳の若さで亡くなっている。晋太郎にとって、軍部と対立しながらも戦争に反対した父・寛は政治家としての原点となり、一貫して「寛に繋がる安倍家の血脈にこだわっていた」という。ところが晋太郎の息子・晋三はそうではなかった。むしろ、その存在を無視するような態度が現在も続いている。

 その理由について前出の「週刊ポスト」では、父・晋太郎への反発があったと指摘する。

 晋三は幼い頃から、両親が不在がちな家庭に育った。気鋭の政治家として晋太郎は多忙を極め、母・洋子は地元に張り付くなど家庭団らんとは無縁の愛情に飢えた幼少期だったといわれる。特に晋三が9歳の時、晋太郎は3期目の総選挙で落選する。そして返り咲くまでの間、父は選挙区に張り付いた。

「父(晋太郎)が子供たちと顔を合わせる機会はほとんど失せ、次第に父子の気持ちはすれ違うようになる」

 晋太郎は周囲から見ると長男・寛信より晋三を可愛がったというが、しかし愛情表現は下手で晋三にもあえて厳しく接したという。さらに勉強が“好きではなかった”晋三に対し、晋太郎は自分の母校でもある東大に行くよう勉強を強いるようになった。一方、母方の祖父である岸は晋三を可愛がり、晋三も南平台にあった岸邸に喜んで遊びにいった。

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