1943年1月、原田さんは霞ヶ浦航空隊に教官として着任し、海軍兵学校出身者3名を受け持つことになった。そのなかの一人が関行男大尉(2階級特進後、中佐)だった。初の神風特攻により、レイテ沖海戦で戦死した軍人である。そして、原田さん自身もまた、霞ヶ浦航空隊にいたころ、「参謀肩章を付けたお偉いさん」から特攻の志願を促されたことがあったという。ガダルカナルでともに死の淵に立った戦友は、「命令されたら仕方がない。こうなったら俺は志願するよ」と言って、戦死した。原田さんは「俺はいやだ」と志願しなかったと書いている。
〈ミッドウェーでの「巻雲」での経験、ガ島から病院船での出来事、とにかく私は、
「命を大事にしなくては」
と、最後まで、命はむだにしちゃいけないと思っていた。〉(『最後の零戦乗り』より)
──このエピソードを聞いて、なにかを思い出さないだろか。海軍のエースパイロット、教官に転身、「命を大事に」。そう、百田尚樹『永遠の0』の主人公、宮部久蔵である。原田さんと宮部久蔵は、操縦練習生出身という点でも同じだ。
実は、百田と原田さんは少なくとも一度、会って話したことがあるらしい。『永遠の0』出版後の2010年に、百田はツイッターでそのことをつぶやいていた。実際、そんな縁もあり、前出の『最後の零戦乗り』の帯に百田が推薦文を寄せている。
原田さんは、百田に会ったときに「(主人公の宮部は)いろいろな零戦搭乗員の話を聞いてから作った、ひとりの偶像です。このなかには原田さんも入っています」と聞かされたという。しかし、安倍首相を礼賛し、タカ派発言を連発する百田とは対称的に、原田さんはインタビューのなかで、安倍首相の歴史認識や戦争への考え方に対して、こう「鋭いジャブ」を入れている。
「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」、そして、「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」と。
積極的平和主義の名の下に、日本を再び「戦争ができる国」にしてしまった安倍首相。その口から常日頃飛び出すのは「有事にそなえて」「中国の脅威は予想以上」という国防論だ。そこからは、原田さんが語る「全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれる」「戦争が、私を人殺しへと変えてしまった」という生々しい血の匂いと、背負うことになる罪の重さは、まったく感じられない。