そのうえで小林は、アメリカに追従しイラク侵攻を肯定した小泉純一郎、その安全保障のブレーンを務めた岡崎久彦、京大名誉教授・中西輝政らを「恐米ポチ」と名付ける。そして、そこに連なる安倍首相についても、日露戦争以降醸成されてきた中東からの評価を、あの“カイロ2億ドル支援演説”の「たった一言で壊した」と批判し、こう締めくくるのである。
「アメリカ様様のポチ連中のせいで、このままだと国民がまったく知らないうちに戦争に引きずり込まれてしまうよ」
よしりんが戦争への懸念として持ち出すのは、イスラム国をめぐる日本の外交姿勢だけではない。『新戦争論1』からは、中国・韓国との国交断絶やジェノサイドまで煽動するネトウヨやヘイト団体に対する忸怩たる思いも伝わってくる。
本書には「『戦争論』の正しい読み方」と題された章がある。ここで小林氏は、「ネトウヨの生みの親」とされることに対して、「ネトウヨは『戦争論』の副作用である! 圧倒的に効く特効薬に副作用があってもしかたがないっ!」と苦悶の表情を浮かべつつ、ネトウヨや行動保守などは幼稚な「覚悟なきナショナリズム」であると反論し、「嫌韓本」や雑誌・週刊誌の「嫌韓特集」についてもこのように分析している。
〈似たような内容の本が次から次に出版される光景は、その質と量の両面で「自己啓発本」の粗製濫造と同じ現象だ。〉
〈何の努力もせず、人生経験も教養もなく、手っ取り早く安直に、考え方一つで成功する、別の人間になれると錯覚させる、それが自己啓発本だ。
今の自分に自身のない者が、等身大の自分に下駄を履かせるのだ。〉
〈実は「嫌韓本」も売れる構図は同じである。卑小な自分でも自信を持つためには、自分以下の存在を差別すれば手っ取り早い。〉
〈「嫌韓本」は、等身大の自分に下駄を履かせる「自己啓発本」であり、「癒し本」なのだ。〉
小林は、これは「ナショナリズムの悪用」で、最近「嫌韓本」にとってかわって盛況を見せている「日本自賛本」もセットとし、まるで「危険ドラッグ」ではないかと嘆く。そして、行動保守などのヘイト市民運動について、こう言い放つのだ。
〈隣の国の悪口で自我を肥大させ尊大になっている日本人なんて美意識のカケラもない!〉
〈結局、愛国心を掲げて運動する者たちは、等身大の自分を見たくないのだ。〉
〈嫌韓のためのデモや、ヘイトスピーチは「公共性」を破壊するサイテーの悪行である!
嫌悪や憎悪のナショナリズムは、日本の「公」を毀損するだけなのだ!〉