『東北ショック・ドクトリン』(岩波書店)
東日本大震災からまもなく4年目になろうとしている。被災地はいま、どうなっているのか? 復興が着々と進んでいるように見える一方、アベノミクス成長戦略の犠牲として壮大な「人体実験」「社会実験」の場と化しているといったら信じてもらえるだろうか。“復興の大義”に押されて被災地の本音は、なかなか伝わってこない。大手メディアも報道しない。それをいいことに域外の大手資本や新自由主義者たちが、震災を“千載一遇”の機会と捉えて被災者をモルモットのように扱っているというのだ。
そんな知られざる東北の実態を、ジャーナリストの古川美穂が地を這う取材で報告した『東北ショック・ドクトリン』(岩波書店)が出版された。「ショック・ドクトリン」とは「惨事便乗型資本主義」と訳されている。自然災害や戦災、経済破綻などの惨事に見舞われた社会に、地域の慣習などでそれまでなかなか導入できなかったシステムを強引に押しつける政策をいう。ショックに乗じて住民の反対や抵抗が起きる前に素早く行われることから「ショック・ドクトリン」と呼ばれている。
この言葉を世界に広めるきっかけになったのは、新自由主義の教祖、ミルトン・フリードマンがクーデターで政権をとった南米チリのピノチェトに、減税、自由貿易、民営化、福祉支出の削減、規制緩和といった新自由主義政策を矢継ぎ早に強行するようにアドバイスし、実行させたことだった。ピノチェトによる“改革”は「チリの奇跡」とまでもてはやされたが、やがて貧富の差が急激に拡大し、貧困率が前政権下の2倍の40%になり、インフレ率数100%のハイパーインフレを呼ぶなど惨憺たる結果に終わっている。
最近では、アメリカ・ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナからの復興もショック・ドクトリンの典型例といわれている。災害を機に教育の民営化が強引かつ迅速に断行され、雇用や税収の起爆剤としてそれまで反対の強かったカジノができ、「復興カジノ」と呼ばれた。しかし、教育バウチャー制度の導入で公教育がほとんど解体される結果となり、カジノも直後は復興特需に沸く建設関係の客で賑わったが、ブームが去ると一気に収益が低下し衰退の一途をたどっているという。
実は、20年前の阪神・淡路大震災でもショック・ドクトリンの手法が使われた。神戸市長田区の昔ながらの商店街は復旧されず、大型ショッピングモールや高層マンションが生まれた。神戸市は特区を利用した「神戸医療産業都市構想」をぶち上げ、ポートアイランドに最先端の研究施設を次々と誘致した。これに、当時「復興の星」といわれた神戸空港を連動させ、医療ツーリズムの拠点にしようと目論んだのだ。空港隣接地域に高度先進医療の専門病院をつくればサウジ王族のような世界の富裕層が自家用ジェットで一族郎党を連れて来て、ホテルを一ヶ月くらい借り切って、地元にお金を落としてくれるのではないか、という話だ。行政は本気でそう考えていたという。