政権による公共放送の「乗っ取り」という「戦後最大の危機」に際して何ができるのか。本書の最終章では、現在世界で多数の公共放送が行っている、電波・放送行政の政府からの独立、政権の影響を受けやすい会長や経営委員の選任システムの改革など、具体的な提案が述べられているが、同時に、職員の内部的自由の確立が「知る権利」や「表現・報道の自由」にとって非常に重要であると強く指摘する。
たとえば、与党政権の影響を受けやすい政治部・経済部と対照的なのが、現場主義がまだ残る制作部主導のニュースやドキュメンタリーだ。特にETV特集やNHKスペシャルなどのドキュメンタリー枠では、原発や差別・貧困問題、戦争・平和・近現代史に関する気骨ある番組が粘り強く作られている。だがそれらの番組に関しても、最近では「反日的だ」「左に偏った偏向報道で国益を損じる」などの声が以前より確実に多く寄せられるようになっているという。籾井会長は昨年4月の理事会で、放送法が定める公平性の原則について、放送全体ではなく「個々の番組を通して公平性を追求すべき」と発言した。それはつまり、番組内での両論併記、つまり「市民の言い分だけではなく政府の言い分も公平に報道せよ」という身勝手で恣意的な誘導であり、対象に深く取材するタイプのドキュメンタリーの制作手法を根本から否定するものだ。そのような安直な「公平」観が、最近急増しているという“反日”報道批判の「声」に支えられていることは無視できない現実だ。
もはや「NHKは叩いておけばいい」という時代は終わったのではないだろうか。抗議方法としての受信料不払いや、政権に媚びる報道に批判のメールを送るのも良いが、今最も必要とされているのは、粘り強く優れた番組を発信しようとする現場の職員たちへの激励と応援だ。
「制作スタッフにとって何よりの援護射撃となるのは、視聴者からの再放送希望や、感想、評価などを伝える声です。どんなに“上”がつぶしたい番組でも、視聴者からの支持があれば制作は継続できるし新たな放映のチャンスにもなる」(制作部ディレクター)
視聴者からの応援は、現場で闘う心ある職員たちの自信にもつながる。最も事実に近い場所にいる現場の人間が尊重されることなしに、健全なジャーナリズムはありえない。忖度の卑屈さを捨て、自信を取りもどし、責任を自覚してはじめて、圧力に抵抗し立ち上がる力も生まれるのだから。
(山崎舞野)
最終更新:2017.12.09 05:01