しかしかつては政治的な問題にコミットしないことを信条としていた村上春樹だが、近年は、イスラエルのエルサレム文学賞授賞式で「いかなる戦争にも賛成しない」「非武装市民の側に立つ」などとスピーチしたり、あるいは東日本大震災直後に受賞したカタルーニャ賞のスピーチでは反原発の立場を表明したりしている。いずれも日本国内でなく、海外向けという点で、ノーベル賞を意識した政治活動、根回しの一種とも感じられる。日本ではほとんどしない作家づきあいも、海外の作家との交流エピソードはときおり明かされるし……。
それでも、村上春樹のノーベル賞受賞が厳しい理由は、作品そのものにもあると小谷野はいう。たとえば井上靖、遠藤周作、芹沢光治良などペンクラブ会長を務めながらノーベル賞受賞に至っていない作家もいる。これについて、彼らの作品が通俗小説とみなされていたからではないか、と小谷野は推察している。100年以上の歴史をもつノーベル賞なのでその受賞傾向を一概に語ることはできないが、ひとつだけハッキリしていると小谷野がいうのが「通俗小説には与えられない」ということなのだ。そして「春樹の作品は、ノーベル賞委員会が嫌う通俗小説なのではないかという気が私にはしている」。とくに日本でミリオンセラーとなり海外でもヒットした『1Q84』の内容は、通俗恋愛冒険小説である、と。
純文学と通俗小説(エンタメ作品)との境界に意味があるのかというのは日本の文壇でよく議論されることだが、海外でも純文学と通俗小説の区別はあると小谷野は断言する。世界的に人気のあったフランソワーズ・サガンやグレアム・グリーンが受賞できなかったこと。アメリカの作家で、フィリップ・ロスやドン・デリーロは候補になっても、ジョン・アーヴィングがノーベル賞候補として名が挙がらないこと。それも純文学ではなく通俗小説あるいは中間小説とみなされているから。そういう意味で、日本でも「春樹を飛ばして」多和田葉子や津島佑子、堀江敏幸のほうが可能性があるのではないかとも予測している。
村上春樹が本当にノーベル文学賞の候補に入っているかどうか。それは50年経つか、あるいは春樹が晴れて受賞するか、しなければ真相はわからない。しかし、
「(文学が売れない)状況の中で、村上春樹は、とりあえず純文学とされている作品を出して、大幅に売れており、世界的にも人気があって、ノーベル賞をとるかもしれないとなれば、文学などもう終わっているという世間の冷たい目にさらされている文壇としては、ぜひ春樹を祭りあげたいというのが本音だろう」
少なくとも小谷野のこの指摘は、当たっている。きのうの空騒ぎを見ているとそう思えるのだった。
(酒井まど)
最終更新:2017.12.09 04:58