ろくでなし子 公式ブログより
女性器の3Dデータを配布した「わいせつ電磁的記録媒体頒布罪」の疑いで逮捕され、7月18日に釈放されたアーティスト・ろくでなし子氏。自らの性器を3Dスキャナーで撮影しデータ化、それをクラウドファンディングで寄付してくれた人へ「データを基に一人ひとり、まんこを使ったおもしろい作品を作ってみてほしいという考えから」謝礼として送付。そのことが逮捕につながったようだ。
ろくでなし子氏は、女性器を型どってポップにデコレーションした立体作品「デコまん」を制作するなど、これまで女性器を創作のテーマにしてきた。今回問題になった3Dデータについても、自らの女性器をスキャンし型どったボート「マンボート」を作成し実際に多摩川を渡る、というアートプロジェクトの一環だ。
身体の一部であるにも関わらず、女性にとって女性器と向き合う機会は少ない。もっと自分の性器、まんこを肯定的に捉えられたら──そんな思いが、ろくでなし子氏の作品制作の根底にはある。しかし今回の事件を受けて、「女性器でアートなんて下品」「ただのエロを芸術と呼ぶな」という心ない意見も飛び出す一方、新聞やテレビの大メディアでは、「芸術か猥褻か」といった、逮捕の妥当性そのものを問う議論すらほとんどなされていない。
だが、こうした女性器をテーマにした表現──いや、ここではろくでなし子氏に敬意を込めて、まんこアートと言わせていただこう──バッシングは、いまに始まった話ではない。その一例を、社会に抵抗し、価値の転覆をはかろうとする芸術家たちの表現について考察した『アート・アクティヴィズム』『攪乱分子@境界―アート・アクティヴィズム 2』(北原恵/インパクト出版)から紹介したい。
まず、70年代より女性をテーマにしてきたジュディ・シカゴが、5年の歳月を費やして完成させた《ディナー・パーティ》という有名な作品がある。これは、“女たちの偉業を祝福するための晩餐会で、ディナーテーブルに供された陶皿が客人たち自身のヴァギナである”というインスタレーションで、歴史に登場する女性たちの功績を称えたもの。十人十色のまんこ(の陶皿)は見る者を圧巻する大作だが、この作品がサンフランシスコ近代美術館に展示されると、批評家たちからは「猥褻物」と激しい非難の声があがったのだ。
また、スザンヌ・サントロは「伝統的な西洋絵画における女性器の扱い方」に疑義を唱え、「芸術においていかに女性器が消し去られてヌードが理想化されたか」をテーマにした。そしてサントロは、“まんこが消し去られた”美術史のヌード画から、女性器のクローズアップ写真と花や貝殻、ゴチック様式の彫刻などを並置した著書『新しい表現に向けて』(1974年)を出版。これには大きな反響があり、イギリス現代美術のギャラリー・ICAから出展依頼を受けるが、主催者の検閲によって「芸術的にすぐれた猥褻は守るつもりだが、今回の作品は性的自己表現だから」という理由で排除されてしまう。──自分のセクシュアリティを女性が語る。それだけで検閲を受けてしまったわけだ。