しかし、ほんとうの異様さはこの先に待ち受けていた。まず、眼前に広がる木梨アートの数々は、まったくといっていいほどに一貫性が見当たらない。メッセージ性のない(つまり無意味な)バスキア、陽気さ全開の(つまり無意味な)ジャスパー・ジョーンズ、カラフルでしかない(つまり無意味な)ジャクソン・ポロック、意味深を気取っただけの(つまり無意味な)マーク・ロスコ……どこまでも“○○風味”が果てしなく並んでいる。ただ共通しているのは、どの作品からも脅威を感じるほどのポジティブオーラが放たれていることだ。それも猛烈に。相田みつをや326の説教臭さとは違う、あれ、なんだかふんわりしたものに包まれている……みたいな感覚だ。
うっかり薄気味悪いふんわりしたものに包まれてしまった我を取り戻すべく、作品を凝視してみることにした。木梨作の絵画には、バスキアの影響なのか、Google翻訳で作成されたような英文や単語が散りばめられている作品が多いので、とりあえずそれをかみ砕こうとしたのだ。だが、ここで一気に謎が解けた。そう、そこに並んでいたのは、完全なる自己啓発の世界だったのだ。
たとえば、英単語の集合体で描かれた木の絵には、「hug」「hope」「rainbow」などといったふんわりワードの合間に、「felt alive」(生きている実感:以下カッコ内は筆者訳)や「sober minded」(ありのままの心)といった自己啓発でおなじみのフレーズが書かれている。しかも、一見すると意味が分からない「clearance」(片付け)や、「アサワソウジカラ」「ゲンカンノミズマキカラ」などの日本語が紛れているではないか。これは、ベストセラーとなった『人生がときめく片づけの魔法』や『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』、『トヨタの片づけ』よろしく、掃除や片付けから充実した人生を説く最近の自己啓発界のブームさえフォローしているということか。すごいぞ、ノリさん!
ほかにも、呪われたように「You mean a lot of me」(君は私にとって大事な存在だよ)と埋め尽くし観客の自己承認欲求に応えたかと思えば、「There is no individual/happiness totally/ independent of others」(自分だけの幸せなんてないんだよ)と、他者貢献をポイントに置く流行中のアドラーの教えまで取り入れる貪欲ぶり。もはや木梨憲武というアーティストに、やれ「文脈がない」だの「作家性が皆無」だのといった批判は通じない。だって、これはアートという名の自己啓発、美術館で催されるセミナーなのだから。
併設されたミュージアムショップでは、「REACH OUT」(手を差し伸べる)と書かれた絵のマグカップやらポスターを買い求める老若男女がレジに行列をなしていた。「うまいビジネスは最高のアートだったと思う」とはウォーホルの言葉だが、たしかにこれは、新しすぎるうまいビジネス、なのかもしれない。
(田岡 尼)
最終更新:2014.07.16 08:49