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戦後もあった! 日本政府がつくっていたGHQ専用の慰安婦施設

戦中、東京に嫁いでいたメアリーは、空襲で嫁ぎ先も実家も焼け出され、大けがをした義母と年若い義妹を抱えて途方に暮れていた。そんなとき、見つけたのが街の立て看板と新聞の募集広告だった。

「戦後処理の国家緊急施設の一端として駐屯軍慰安の大事業に参加する“新日本女性”の率先参加を求む。女子事務員募集、年齢18才以上25才まで。宿舎、被服、食料全部当方支給」

こんな広告を見てRAAの面接を受けたメアリーは、そこで「女子事務員」とは「進駐軍専用の娼婦」の仕事だと知らされる。多くの女性は驚いて立ち去ったが、困窮状態にあったメアリーはやむなく慰安婦の道を選ぶ。メアリーは同書にその時の心境をこう語っている。

「身体を売る仕事だと知らされたときには息が止まるほど驚いたけど、私は夢中だった。とにかく亭主が帰ってくるまでは母と妹を食べさせなくちゃならないんだもの」

募集に応じた30名の女性たちは、メアリー同様に素人や処女も多く、簡単な性教育を施されて大森海岸の「小町園」へと連れて行かれた。45年8月28日夕刻、小町園に到着したばかりのメアリーたちを待っていたのは、ジープで乗り付けた米兵の群れだった。

「『5、6人の大男が目をぎらぎらさせて土足のまま飛び込んできたけど、本当に鬼みたいだった』メアリーもそのうちの一人に捕まり、小部屋に放り込まれて、布団の上に押し倒された。(中略)嵐は30分ほどで去った。犯された女たちは互いに抱き合って泣き崩れ、襲われなかった女たちも震えていた」(同書)

その後、総勢100名となったメアリーたち小町園慰安婦たちは、一日平均30人、メアリーは最高で55人の相手をし続けたという。

 メアリーの月給は、銀行員の初任給が80円だった当時、5万円にも達した。この破格の報酬が彼女の家族を助けてくれたとメアリーも認めている。

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