『日本国紀の真実』は「百田尚樹」そのものを再検証し、世の中に問う書だ
また、『日本国紀』で書かれている前述の“中国国民党とティンパーリ陰謀論”についても、秦氏はそのペテンを喝破する。
〈また彼〔引用者注:ティンパーリ〕は英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員でしたが、〔南京大虐殺に関する〕本を出した動機は義憤であり、また中央宣伝部の顧問になったのは本を出した後のことです。そうした事実を伏せて、鬼の首を取ったように「ティンパーリはお金で買収された中国のスパイだった」というのは、これも予備知識のない人が飛びつきやすいトリックですね。〉
〈自力で本を出して、それが話題になったことで、中国側は利用価値があるとして顧問に招き入れたという経緯です。最初から南京大虐殺を喧伝しようと中国側と手を組んでいたかのように書くのは誤りです。〉
秦氏も指摘するように、『日本国紀』のとりわけ近現代史の記述は、従来から歴史修正主義界隈で多用されてきたインチキのリバイバルにすぎない。だが、これが(Wikipediaからを含む)大量の「日本スゴい!」的な叙述のなかに組み込まれることで、そのインチキを無防備な読者が誤って受け入れてしまうという仕組みになっている。そして、最終的に安倍政権による9条改憲に賛成するように誘導する。それが『日本国紀』という本の本質だ。
その構造自体は、本サイトでも発売された当初から再三指摘してきた(参考記事https://lite-ra.com/2018/11/post-4381.html)わけだが、宝島社の『日本国紀の真実』は、それをあらためて多角的に浮き彫りにしている。
さらに、同書には『殉愛』を巡る裁判(たかじんの長女や元マネージャーが幻冬舎らを訴えた民事訴訟。いずれも被告の敗訴確定)における、百田氏の法廷証言も鮮明にレポートされている。「殉真」の著者のひとり角岡氏によるもので、これを読めば、いかに百田尚樹という作家が無責任で「虚言」を垂れ流す人間であるかがハッキリするというものだ。その意味では、同書は「百田尚樹」そのものを再検証し、世の中に問うているとも言える。
極右トンデモ発言やヘイトデマ、挑発的な暴言ばかりが注目される百田センセイだが、『殉愛』と『日本国紀』の騒動によって、作家としても完全にメッキがはがれた。“嘘八百田”の「引退宣言」ほど信頼できないものはない。平然とカムバックを許す前に、いま一度、この人の存在を徹底して総括する必要がある。もちろん、本サイトもその言行をチェックし続けるつもりだ。
(編集部)
最終更新:2019.08.31 08:59